日刊早坂ノボル新聞

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◎「春夏秋冬」 (2022-6月15日の日記)

「春夏秋冬」 (2022-6月15日の日記)

 この日はいつもとは違う病院の循環器科にて、心臓のエコー検査を受けた。

 15日のせいかすごく混雑していた。

 運送業などが五十(ごっとう)日に忙しいのは分かるが、何故に病院も混雑するのか。

 スマホで「ようつべ」を観ていたが、すぐに飽きた。

 顔を上げると、検査室の前の長椅子から、窓越しに外の様子が見えた。

 生垣には紫陽花の花。雨粒に打たれて頷くように揺れていた。

 そこで暇潰しに短歌を考えた。

 

  病室の窓より眺む紫陽花の頭(こうべ)を叩く水無月の雨

 

 六月の長雨は、必死に咲こうとする紫陽花の花を際限なく打ち据える。長患いの患者には病気だけでなく人事、すなわち経済問題や家庭問題が降りかかり、気苦労が絶えることはない。

 そんな歌だ。ま、十分間で考えたので、あまり良い出来ではない。

 

 検査が終わり、医師が言うには「心臓が肥大している」とのこと。

 原因には二つの要因が考えられる。

1)腎臓の長期治療の影響

2)心臓の血管に異常がある(梗塞など)

 今の時点では「よく分からない」そうだ。

 医師は「そろそろ評価して見るのも一手ですね」と言う。

 「評価」とは、普通は「中を調べる」という意味だ。

 「かもしれぬ」という段階だから、「見て何も無ければそれでOK」、「異常があるなら治療する」ことになる。あくまで念のための措置だ。

 

 そこで医師に答えた。

 今は1)の流れで、体の除水(水抜き)を進めており、肺、心臓の両方とも症状が改善している。

 とりあえず、喫緊の危機は去っている。まずは1)の結果を見て、どこまで改善されるかを見た上で決定しても遅くはない。

 ひとつの患部の治療は、他の臓器にも影響を与える。

 「心臓は良くなったが、その施術による腎臓への負担により患者が死んだ」、みたいなことはよくある。

 また、既往症が多いので、カテーテル検査と治療による入院が数日でも、数か月は安静にする必要が生じる。今は中期に渡り休んでいたら、破産してしまうかもしれぬ。

 「病気は改善されたが、患者一家は心中しました」

 何事にも折り合いは必要だ。

 

 そもそも「ノイズをひとつずつ除去していく」方が合理的な考え方だ。「あれもある」「これもある」では病因の特定は困難だ。

 

 「では二か月半後にまた検査の予定が入っていますから、そこまでの期間を腎臓からのアプローチに充ててみて、そこで考えるのはどうですか」

 ということで、九月に心臓の再検査をすることを前提に、それまでに異常があればすぐに診察を受けに行く、という方針にして貰った。

 

 その間のリスクが無いわけではないが、病気で死ぬのはある程度「天命」だが、人為的に死ぬのを選ぶのは避けるべきだ。

 

 ま、腎臓治療の方はちと船頭が多い。治療方針は主治医一人に責任を委ねるべきだと思う。見解に相違が発生するケースが生じるのと、責任の所在が曖昧になる。