◎母が戻って来た
今春の経験から、「もはや何時この世とオサラバしても不思議ではない」と実感するに至ったので、今後はこれまで他人には言わずに来たことを、相手本人には言うことにした。
いっそう「変なヤツ」だと思われるだろうが、奇人変人は前からだ。常識を顧ぬほど偏屈でもある。
先日、郷里の昔の家に「母が戻っている」と感じたので、兄にそれを伝えた。
「しばらくの間、その家にいるので、会いに行くと良い」
もちろん、母が姿を見せることはなく、殆どの場合、気配だけだ。
生前に愛用していた化粧品とか、着物の匂いを間近に感じたりする。
床がほんの少し、人の重みで撓んだりする。
「お袋は応接間の長椅子に座って、窓から外を眺めていることが多いから、テーブルに菓子でも供えるとよい。あとは神棚の掃除が必要だ」
しかし、兄はこれまで死者の気配を感じたことが一度もないそうだ。
実体験が乏しい者の殆どの反応は、「否定するが、その一方で怖れる」というものだ。
正確には畏れとも怖れともつかぬ感情だろうが、肉親だった者に対しても同じらしい。
母は割と早く当家に戻って来たが、兄は結局、母に会いに行かなかったようだ。
さてはビビったか。
母が亡くなってから三年以上経つが、まだ私の周囲で母の気配がする。
今のところ、私が死ぬと、すかさず悪縁(霊)に化け、この世の人を数多くあの世に連れて行こうとすると予期している。
母はなるべくそれをさせぬように、心を砕いているものと見える。
だから、まだこの世に残っている。
昨日あたりから、母が五㍍くらい離れたところから見ている気がする。
と、書いている途中で、やはり回線が繋がっていない方の受話器がチリンと音を立てた。
本人が直接答えてくれるのなら嬉しい。
「死ねば終わり。幽霊は存在しない」と口にする人は多いが、その割には幽霊を怖がる。
存在しないなら、怖れる根拠そのものがないのだから、その点は理解出来ない。