日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎八月の思い出

八月の思い出

 十数年前に心筋梗塞(初回)に罹ったが、これが八月の頭で、それからほぼひと月ほど病院に入院した。

 十日置きに施術を行ったから、かなりやっかいな状態だった。 

 ま、大動脈三本が同時に全部狭くなっていた。

 危機の直前に気付き、自分で病院に行ったのが幸いし、命が助かった。この辺は、自覚症状がはっきり出てからでは、処置が間に合わなくなる。

 

 入院中、旧盆の前頃に、郷里から母と甥が見舞いに来た。

 母が「行く」と言うのに甥が付き添って来たわけだ。

 ちょうど日曜日だったが、母が席を外している間に、私は甥を近くに呼んだ。

 「ちょっと携帯で馬券を買ってくれるか」

 私は直接、競馬場か場外に行く主義だったので、携帯のJRA登録をしていない。甥は田舎にいて競馬場には行き辛いから、ネット登録をしていた。

 その頃、母は「勝負ごと」が嫌いで、母の前で話をすると説教されるから、母がその場にいない隙に甥に頼んだのだ。

 確か新潟のレースで、買い目は馬単一点だった。

 他人の口座の金を使って馬券を買うのはさすがに気が引けるから、買い目を一点だけにした。

 

 たまたまこれが当たり、火曜日に郷里に戻る前の段になり、甥がアガリを病院に届けてくれた。四十倍の馬券だから、アガリは四十万だ。(突飛なケースだから、この件だけはいつも「百万」と法螺を吹く。) 

 二割くらいを抜き、「どうもありがとな」と甥に渡した。

 甥は「あのレースを馬単一点で買えるのはスゴい」と感想を言った。

 「ま、競馬はこんなもんだ」としたり顔で答えたが、なあに、実際は頼みづらかっただけだ。

 この様子をたまたま母が見ており、帰路の新幹線でその話題になったようだ。

 「あれはどういうこと?」みたいな話だ。

 甥は正直に話したとのこと。

 

 退院して数か月経った後で、郷里に「快気」の報告に行くと、居間で甥と母が馬券の検討をしていた。

 母は競馬の話をすると、「孫との共通の話題が出来る」ことに気付いたのだ。(これは本人がそう言っていた。)

 もちろん、本質的にバクチは嫌いだから、総て一枚買いだ。一点百円を三点か四点だけ。メインレースを何百円か買う。

 その過程で、孫と「あれだのこれだの」と話すことが楽しい。

 

 以来、競馬の話が実家で大っぴらに出来るようになった。

 父の方は、一切、勝負事はやらぬから、会話には加わらぬのだが、母、私と甥は、日曜になると競馬の話をしていた。

 母の馬券検討が「孫との会話のため」でなくなったのは、「数分で帯が出来る」のを間近で見た時からになる。

 私の馬券買いは、極端な決め打ちをするから、滅多に当たらない。「当てる」のではなく、「当たったら必ず儲ける」主義だから、まずは当たらない。

 酷い時には80レースくらい連続不的中だったこともある。

 半年くらい一度も当たらぬし、かすりもしなかった。

 

 たまたま「母の見ている前で当てた」のは一度だけだ。

 「当てた」と言う時は、私の場合、「帯(封)を手に入れた」時限定の表現だが、母はそういうことを知らない。

 五十なら「帯半分」で、それ以下なら「多少プラス」の言い方になる。

 私が「あ、当てたわ」と呟くと、母が「幾ら?」と問い返した。

 「帯一本ちょっとかな」

 すると、母はよほど「(タネ銭を)沢山突っ込んだ」と思ったのか、「いったい幾ら買ったの?」と追及口調で訊いて来た。

 そもそも勝負ごとの嫌いな性質だったが、それが表に出た。

 「五千円弱」

 母はお金自体には興味がなかったろうが、元手が二百倍に化けたなら、かなり話が違って来る

 その時から、馬券が「孫との会話のため」だけではなくなったように思う。

 以後は、甥に競馬新聞を買って貰い、真剣に読むようになった。

 

 その後、数年で、母は自分のスタイルを考え出し、いつも同じ型で選ぶようになった。百円買いはそのままだから、大勝ちは出来ぬのだが、負けも無い。

 馬券を何年も続けた人の中で、「生涯馬券収支がプラス」だという人の話は、母以外に聞いたことが無い。

 欲が無いから、コツコツとプラスを積み重ねる。

 

 それから、いつしか立場が逆転し、息子(私)や甥が母に意見を聞くようになっていた(W)。

 ま、こちらは馬券の生涯収支が「えれーマイナス」の方だ。

 たまに「帯」を当てるが、「焼け石の上に涙一滴」に過ぎぬ。

 「自分は本質的に勝負事が下手なんじゃないか」と思うほどだ。

 そもそも、当てに行かぬから、なかなか当たらない。

 馬券については、結局、母にはまったくかなわなくなった。

 

 さて、新盆なので、母にご供養を施したいが、墓参りには行けない。

 供養の最たるものは、「思い出を語る」ことなそうなので、これを書いた。

 人間は生まれ落ちてから、死ぬまでの記憶を、きちんと脳に格納しているそうだ。日頃はただしまってあるだけだが、引き出しを開けると、きちんと頭と心の中に留めている。

 母は私の記憶の中で、今も生きていると思う。

(加えて、時々、母が居間の長椅子に座っているような気配がある。)