◎『怪談』 第四話 みさきちゃん 早坂ノボル
◎『怪談』 第四話 みさきちゃん 早坂ノボル
(PCクラッシュの影響で手控え原稿しか残っていません。いくらか叙述に不首尾があると思います。)
これは二十年前に、実際に私が体験した不思議な出来事だ。
当時の私は盛岡藩の貨幣鋳造技法について調べていた。その過程でたまたまある鋳銭地近く出身の人と知り合いになった。
その人は、その地でかつて大地主だった一族と懇意にしているとのこと。
北上山中にあるその町には、元は大地主だった家が二軒あり、そのうちの一軒の旧家になる。
それだけの大地主はどの町や村にも一軒か二軒しかないような、所謂「旦那さま」の血筋だ。家や蔵には今も古い資料が沢山残っているとのことだった。
知人が間に立ってくれ、私はその旧家を紹介して貰ったのだが、さらに「家の中を見せて欲しい」と頼むと快く応じて貰えることになった
銭の密造には、かなりの投資が必要で、必ず地元の金持ちが関わっている。
その家の文書類を検めることで、何らかの記述が残っているかもしれない。これは私にとってかつてない得難い機会だった。
約束の日。私は東京から七時間かけ車でその町に行き、目当ての旧家の向かいの家に着いた。
町の入り口には、大正末か昭和始め頃に建てられた商店が今も営業していた。この店の構えを観るだけでも、この地を訪れた意味がある。
この地だけ、時代の流れから取り残されているような気がする。
山の中の町に入っても、目抜き通りにはほとんど人が見えなかった。商店や事業系の会社、診療所の建物が数十軒ほどあるにはあるのだが、そこに人がまったく出入りしていない。
地方都市の多くは商店街が「シャッター街」と化しているが、この地もそうなのか。
だが、主産業が酪農や林業だろうから、日中、人々は農地や山林の方にいると思い直した。
ただし、大人が少ないのだから、子どもは一層少なさそうだ。この街に来る途中で小学校の前を通ったが、もはや廃校になっているらしく人の気配がまるで無かった。
目的の家の前に着く。
その旧家には、家の者が常住しておらず、年に一二度訪れるだけになっているようだ。
先祖の墓も引っ越し先の方に移してあるから、ここに来るのは資産管理の用事しかなくなっているらしい。
普段はその家には誰も住まぬので、家の管理は向かいに住む人が任されているとのことだった。
この時に直接対応してくれたのは、その管理人の家の人で、四十台くらいの女性だった。
これが見るからに朗(ほが)らかな女性で、気さくに対応してくれた。
女性が「ではご案内しますね」と先に立つ。
二人で道路を渡って「旦那さま」の家に向かった。
門柱の間を通り、家の敷地に入った。
その家の敷地はかなり広く、一辺が五十㍍くらいはある。道路に面した側は土塀で囲まれていたが、反対側は農地が広がっているから、そちら側に塀はない。家の敷地の外側に広大な畑が広がっていたが、農地は近所の農家に貸しているのだろう。様々な作物が植えてあった。
管理人の説明では、その旧家は百六十年くらい前に建てられたものなそうだ。
部屋数は十六室くらいあるようだが、その女性も「数えたことが無い」とのこと。小部屋も含めると、どれくらいあるかが分からない。
古民家なので、ここの県庁より「重要文化財に指定したい」との申し出を受け続けて来たそうだが、もし文化財に指定されると、改築などが出来なくなってしまう。このため、代々の当主が申し出を断って来たとのことだ。
現在の当主は医師なのだが、隣県に住んでいるから、ごくたまにしかここに戻ることはない。
玄関に入ると、さすがに広かった。
板間に上がると、すぐ上は客が旅支度を解くための板間だった。さらにもう一段上に広めの板間があり、その先が居間や接客間になる。
そこから右手に向かうと、畳敷の部屋が幾つも連なっていた。
そこで管理人の女性が思わぬことを話し始めた。襖が開け放たれていたが、管理人が下を指差し敷居を示した。
「この二つ目の部屋の敷居の上に頭を載せて昼寝をすると、座敷童が現れるという言い伝えがあります」
「え。本当ですか」
「ええ。私の知人にも『会った』と言う人がいます。やはり敷居にかかるように寝転んでみたら、子どもが現れたらしいです」
おかっぱ頭の女児が現れたという話だった。
その子だけでなく、隣の部屋には、女児よりも小さい男児がいたらしい。
こういう子どもたちを、「複数の人が見た」という。皆が一様に、敷居に頭を載せていた。
それはすなわち、その妖怪が出るには「敷居に頭を載せる」という段取りがあり、その段取りに従えば、誰でも「座敷童に会える」かもしれぬということだ。
誰が行っても同じことが起きるなら、それは「気のせい」や「たまたま」ではない。
私は少し茶化し気味に管理人に答えた。
「座敷童は幸運の神さまだと言いますから、是非とも一度会ってみたいもんですね。はは」
もちろん、冗談だ。
こういうのは、ただの伝説ではないことを、私は承知している。
私自身が昔、母の実家で「その家にはいない筈の子ども」に会ったことがあるのだ。
まだ私が五歳くらいの頃、夏の忙しい盛りに、私一人だけ母の実家に預けられたのだが、その時のことだ。
母の実家も築百年以上経つような旧家だったが、夜中に板の間や常居を走り回る子どもの足音を耳にして、それまで眠っていた私は不意に目覚めた。
子どもの足音は、次第に私のいる部屋に近づき、遂には摺りガラス越しに、私のことを見た。
私はその時に眼を開けて、その子の顔を見たが、あれはどう見ても、福神さまではないと思う。かつて、幼くして亡くなった子どもの幽霊だ。
摺りガラス越しに顏のシルエットを見たが、まるで学校の標本室に置いてある胎児のような顔をしていた。
この旧家は、さすがこの町に二軒しかない「旦那さま」と呼ばれる一族の屋敷で、長い廊下が縦横に張り巡らされていた。その廊下を辿り、各部屋を見て回ったが、十五部屋目くらいから数えるのを止めた。使用人が暮らしていた小部屋も幾つかあり、こういうのは納戸と区別がつかない。
二階もあったが、殆どが昔の家にありがちな養蚕部屋になっていた。階段が細く急で、上がってみると大広間になっている。ここで蚕を育てたわけだ。
二階から降りると、そこには内蔵があった。
家の中に蔵を作るのは、よほどの金持ちだったということだ。
だが、管理人の女性があっさりとその内蔵を開けてくれた。
「何回か竈を返しているので、蔵にはさしたるものはありません。政治に関わると身代を失くします」
実際、調度類が少々あるだけのようだ。
蔵の隣には、広めの納戸があったのだが、この部屋には、むしろいろんな物が押し込められていた。刀だけで二十五振り以上が大火鉢に差してあった。だが、殆どが軍刀やサーベル、出来の悪い脇差だった。
「重要文化財級の刀があったそうですが、次郎ちゃんが持ち出してしまって・・・」
放蕩息子が売っ払った、ということか。旧家には在りがちな展開だ。
「次郎ちゃんは二代前の当主の弟で、戦後まもなく、あれやこれやと骨董を持ち出しては遊興の費用に充てたらしいです。今でも皆が『次郎ちゃん』と呼ぶので、そんなドラ息子でも、案外周りの皆には嫌われていなかったんだろうと思います」
書き物は帳簿類を始めとして山のようにあった。多くは養蚕に関わる帳簿類だろうが、賞品所や領収書の類は、その時代の経済活動を知るうえで、かなりの助けになる。
足を止めて見入ったら、どれほど時間が掛かるか分からなかったので、最初に家の内外をひと回りして、それから「これ」というポイントを再度見せて貰うことにした。
家の外には外蔵が二つある。
片方の蔵に入れて貰ったが、古文書が山のように積まれていた。
「この量では、置き場所を整理するだけで四五日は掛かるぞ」
とりあえず、一旦外に出た。
農機具小屋などは既に取り壊してしまったらしい。建物などは無いのだが、それがあった土台だけは残っていた。
その奥にある別棟は今風の建物だが、これは持ち主の家族がこの家に戻って来た時に寝泊まりするためのものらしい。
敷地内の建物群の中央には、大きな池があった。正確には元は池だった「水溜り」もしくは湿地で、ぬかるんだ土地に菖蒲や葦といった植物が密生していた。
「ここは錦鯉を鑑賞するための池ではなさそうだ。それより何倍も広かった。昔は釣りが出来るくらい大きな池だったのだな。ま、今では見る影もないわけだが」
私はさっきの古文書のことを考えていたが、あれは庭にプレハブの作業小屋を建て、そこに資料を移して点検する規模の量だった。
「ちょっと無理だな。十人くらいの調査チームが必要だ」
どうやら今回は諦めるしかないようだ。
ここで、向かいの家から人が走って来た。
管理人の隣家の人らしき高齢の男性だった。
「奥さん。お客さんが来てるよ。誰もいねがら私の家の方に来てた」
管理人がこれに答える。
「あ。工事の人ね。すぐに行きますから」
そして私の方を向いた。
「ちょっと内装屋さんと話をしますので、しばらくご自由に見てらして下さい。何かあれば、また後で」
女性はそう言い残して、私の許を去った。
俺はその家の前に一人残されたが、事前に考えていたよりも大掛かりな作業になりそうなので、やはり調べ物の方は中止することにした。
今回はひとまず退散しよう。
だが、頭の中でパッとこんな考えが閃いた。
「それなら、あのナントカの間で、敷居に頭を載せて横になってみることだ。座敷童に会えるかもしれん。ここに居るのは福の神らしいから、会えればめっけものだぞ」
そこで、もう一度玄関から板間に上がり、右手二番目の部屋に行った。
管理人の女性が細目に掃除をしているのか、畳などは汚れていなかった。敷居にも塵埃などがまったく溜まっていない。
私はそこで、敷居に頭がかかるような体勢で横になった。
玄関が開け放たれていたため、初秋の風が吹き込んで来る。
お盆を過ぎると、ここはもうすっかり秋だ。
日中はそれなりに暑いが、午後になると涼しい風が吹き始める。
その涼風に当たっていたら、私はすっかり眠くなってしまった。
東京から七時間以上かけて運転をし、この町に着いてすぐにここに来たから、かなりの疲労が溜まっていたのだ。
爽やかな風に吹かれているうちに、私はつい眠りに落ちてしまった。
深い眠りの奥に沈んでいると、近くで笑い声が聞こえた。
「くくくく」
子どもの声だ。
「ここで寝ちゃダメだよ。お化けに連れて行かれるよ」
これが襖の陰から聞こえた。だが寝入ったばかりで、頭がぼんやりしている。
すると、その子どもは私の傍らに来て、右腕の袖をくいっくいっと引っ張った。
「ここで寝ちゃダメだったら。お化けに連れて行かれるからね。もう目を覚まして」
さすがにこれで私は目を覚ました。
薄眼を開けると、玄関から走り去る子どもの背中が見えた。六歳くらいの女児だ。
道の方に走ったのなら、そっちの家に住む子ということだ。
「ああ成程。向かいの家から来たか。あれは管理人さん家(ち)の子どもだな」
「座敷童」の曰くのある場所で昼寝をしている時に、都合よく子どもの声が聞こえたから、「ほれ来たか」と私は早合点しそうになった。だが、この時の私はどこか冷静だった。
思い付きで敷居に頭を載せて寝たが、それ一発で「神さま」が出てくれるような幸運は起きぬものだ。この世はそんなに都合よく出来ていない。
「ああ、よく寝た。と言っても十分か十五分だろうな」
起き上がって、ガラス窓の外を見た。
すると、中庭の池の辺に人影があった。
葦の葉陰に見え隠れしていたが、紛れもなく着物を着た女性だった。
一枚着だし、白地に紫の藤の花をあしらった柄だから、病院にいる患者が着るヤツだ。
きっと病人なのだろう。
おそらくここの家の誰かが、この家の後ろにある短期滞在用の別棟にいたということだ。
すると、その女性が私の方を見た。
先方にとってすれば、私は単なる闖入者の立場になる。
っ私は少しく恐縮した。
「あの人がこの家の人なら、きちんと挨拶をしとかないとな」
もしかして、いずれ正式に古文書を検めさせて貰える機会が来るかもしれん。
私は改めて身支度をして、縁側廊下から中庭に出た。
池の辺には、やはり着物の女性がいた。年の頃は二十二三歳だ。
私はその女性に会釈をし、傍に近寄った。
「こんにちは。私は西北大学の研究者ですが、今日はこちらさまの家を見学させて頂いています」
女性は答えず、小さく頷いた。
「事前にご挨拶もせず失礼しましたが、こちらさまには今、住んでおられる方がいないと伺いましたので、中を拝見していました。怪しい者ではありません。向かいの管理人さまに案内して頂いています」
すると、女性が初めて口を開いた。
「私は長く患っており、久しぶりにこの家に戻りました。だから、今のこの家のことは何も分からないのです。この庭に出るのも、随分と久しぶりです」
女性は私に顔をそむけたままだった。
「そうでしたか。私はご迷惑をお掛けしているかもしれませんね。すいません」
若い女性だから、病の床に就いており、化粧もしていないような顔を見られるのが嫌なのだろう。私も女性から視線を外し、外の畑の方角に視線を向けた。
これでこの女性も話しやすくなったのか、呟くように女性が口を開いた。
「今年の夏はとても暑くて参りました。でも、お盆が過ぎようやく涼しくなってくれたので、こうやって外に出られるようになったのです」
「どうかご無理はなさらないでくださいね。私のような邪魔者はもう消えますから」
挨拶もそこそこに、私はその場を離れることにした。
家の玄関まで戻った時に、もう一度振り返り、窓の向こう、右手の先にある池の方に視線を向けると、あの女性はやはり同じ場所に立っていた。
そこで足音が聞こえ、表門の方から管理人の女性が入って来た。
「どうもお待たせしました」
私はつい今しがた出会った女性のことについて話すことにした。
「今、池のところで、若い女性に会いました。ご家族の中で病気をされている方が居られるのですね」
すると管理人の女性が、「え」と問い返した。
表情が強張っている。
「それ。どんなひとでしたか?」
「病院で着るような寝巻を着ていました。白地に紫の藤の柄です」
すると、管理人の女性は、かなり驚いた表情で私を見た。
「それ。みさきちゃんです。どこにいましたか?」
「中庭の池の辺に」
すると、管理人の女性は私に声も掛けずに急いで池の方に走った。女性につられ、私も後ろに付き従う。
池の辺に来ると、そこには既に誰もいなかったのだが、管理人の女性が構わず声を上げた。
だが、池の周りやその先の畑には、まったく人気が無くなっていた。
管理人があまりにも真剣な表情なので、私は思わず声を掛けた。
「さっきは確かに居られたんですよ。着物の女性が」
すると、管理人は私の表情を確かめつつ、ぽつりぽつりと話し始めた。
「貴方は幽霊のことを信じますか?」
私は少しの間沈黙したが、漸くそれに答えた。
「信じます。と言うより、頻繁に見ますので『悩まされている』と言った方が正確な答えになります」
「ああ良かった。それならこの話が出来ます」
ここで堰を切ったように、管理人が話し始めた。
つい先ほど私が会ったあの女性は、目の前に居る管理人女性の幼馴染の「みさき」という娘だった。この家の娘だが、幼い頃から病弱で、いつも臥せっていた。そして、二十台の半ばで亡くなってしまった。
今から二十年は前のことだ。
ところが、時々、この家でその娘の姿を見る者がいる。その娘は闘病生活を続けていた頃に着ていた寝巻姿で、この家の周囲を歩いていた。
近隣の住人には、この娘を「見た」と言う者が相当数居る。
そこで、管理人も「もう一度みさきちゃんに会いたい」と思っていたのに、自分自身はこれまで会ったことが無かったのだ。
「そうだったのですか。それは残念なことでした」
あの女性の姿を見た当初から、私は何となくそんな気がしていた。
住む者のない家で人影を見たなら、それは泥棒か幽霊と相場が決まっている。
「私も昔から幽霊を見ますので、幽霊自体を、怖いと思ったことがあんまりありません。実家が商売をしており、お盆などには夜中まで働きますから、深夜の十二時過ぎに独りで墓参りに行ったりしていました。これは小学生の頃からの話です」
「私も似たようなものです。でも、何故かみさきちゃんは私の前には現れてくれないのです。それが悔しくて悔しくて」
この管理人は、幽霊でもいいから「幼馴染と会いたい」と願っていたらしい。
悲しそうな管理人の表情を見て、私は少し話題を替えることにした。
「先ほど、私はあの座敷童が出るという部屋で、敷居に頭を載せて横になってみました。残念ながら、童(わらし)には会えませんでした。つい寝入ってしまったのですが、管理人さんのお子さんですか、女の子が来て『ここで寝てはダメだ。お化けに連れて行かれる』と揺すり起こしてくれたので、化け物に連れて行かれずに済みました。お子さんの話では、この家に居るのは必ずしも座敷童だけとは限らぬようですね」
この時、私の脳裏には、子ども時分に見た「胎児」の表情が浮かんでいた。
この時、管理人はもう一度顔色を変えた。
「子どもに起こされたのですか?」
「ええ。座敷童ではなく、普通のお子さんでしたよ。あれは管理人さんのお嬢さんでしょうか」
すると、管理人はいくらか申し訳なさそうな口ぶりでこう答えた。
「私の子らは盛岡の高校に通っているのですが、今は高校のすぐ前の家に下宿しています。この町は過疎化が進んでいるので、小学生以下の子どもはほとんどいないのです。この周辺には殆ど爺婆が住んでいるだけで、小さい子どもは一人もいません」
それを聞いて、私は思わず息が止まった。
「では、先ほど私の袖を引っ張ったのは・・・」
管理人の女性は、これに真顔のまま頷いた。
私は、その旧家の中で、かつて病死した娘の幽霊に加えて、その場所にはいない筈の子どもに会っていたのだった。
実際に私が会った幽霊たちは、おどろおどろしいところがまったく無かった。だが、それと見間違うような生身の人物が、そこには誰一人存在しないのだった。
これが私の体験した不思議な話だ。
はい、どんとはれ。
◆注記
文中の氏名や地名など固有名詞は創作によるもので実際のものではありません。
◇後記
さしたる恐怖場面が無く、淡々と進むのは、これがほぼ実際にあった出来事だからだ。
岩手のK町には、幕末に八戸藩の隠し炉が存在した。この町の豪農であったМ家を私が訪れたのは事実で、そこは江戸時代から百数十年間続く古民家だった。
玄関を上がって右手には、「座敷童が出るという言い伝えがある」部屋がある。
南側の襖の「敷居に頭を載せて横になると、子どもが現れる」と言う言い伝えあるのも事実だ。なお、その時には、私はそこで寝ていないので、子どもには会っていない。
だが、窓の外には元は池だった湿地があり、その脇に着物の女性が立っていた。
それをそこの管理人に話すと、「その女性には憶えがある」という。
着物の柄が、その女性が来ていたものと全く同じだった。
そこで、二人で池の辺に行き、お焼香をした。
この話が知られるようになり、私は色んな家の法事に呼ばれるようになった。
「あの世はどんなところなのか」という話を求められるのだが、こういう話は私のような者ではなく、僧侶が「御法話」としてすべき話だと思う。
