◎霊界通信R070921「九月十五日の手」
九月十五日の画像にについては私自身には言及しなかった。
すぐに十七日が来るので、対策が必要で余裕がなかった。
私の背後に灌木林があるように見えるが、実際には三十㍍後ろ。だが、奇異の枝が私の前面にかかっているので、「距離間が崩れている」と分かる。
となると、最も多いのは1)「光学的な現象」か、あるいは2)「そこに何かがいて光の進行方向が変わった」という二つのケースがある。
この場合、研究が目的でも好奇心でやっているのでもなく、危機回避が幕的だから、1)の検討は不要だ。リスクのないものを想定しても対応法は見出せない。
「2が起きている」と仮定し、どんどん先に進まねば、無防備にただ連れ去られるだけになる。
(これもよくいる。狭い常識を既定路線に置く者は想定できない事態だから、後手に回り対応出来ずこの世を去る。危機本番が来ると概ね二日で勝負がつく。)
ま、異常は画像の中だけの話だ。その場に立つ当事者は、「手の感触」を思い出すことが出来るので「疑いなくそこに何かがいた」と分かる。
ただ1グラム以下の皮膚感覚だから、経験を積まぬと判別出来ない。私も稲荷の障りに苦しめられている時に、初めて「蜘蛛の糸ほどの触感」に気が付いた。
撮影して、すぐに「背後から左胸に手を差し込まれている」と分かったが、呑気にブログに記している場合ではない。どうせ見えない者が大半で、目の不自由な者に「象」を言葉で説明するのと同じで、時間がかかる。
ま、目の前に連れて行き、手で直に触れて貰えばイメージしやすいが、象の期限が悪ければ踏み殺されるかもしれん。「あの世」の方は象よりさらに気性が激しい。
自分ではなく他人について、同じような状況を目にしたら、疑いなく「この人は死期が近いのだろうな」と思う筈だ。肉眼では、黒く映る筈で、実際、私の病棟には隣に黒い人影を連れた患者がよくいる。いつも記す「黒いひと」だ。
お焼香をして、癒し水を供え、お清めの酒を振り、対話を試みた訳だが、現実に心不全を発症した。予想外だったのは、予期していた日時よりは早く来たことで、幾らか油断していた。(今後は気を付ける必要がある。)
何とも言えんのは、結局「生き残った」ことだ。
これまでにも、周囲にデロデロとまとわりつかれたことはあるが、その都度やり過ごした。稲荷の時には障りから抜け出るのに八か月を要した。
今回、不調が始まったのは二月だから、ちょうど七か月を経過したころだ。
師長にも報告したが、「体のだるさ」「鳩尾の重さ」が心不全の後には雲散霧消した。
「足指」を交渉材料にしたわけだが、むしろその後の方が痛みが少ない。
(まあ、こちらは先方の好きな時期に取って良いことになっている。)
改めて思うのは、「あの手の意味は何か?」ということだ。
バケモノ顔のアモンが現れた時にも、私は胴体をアモンの鈎爪のある手で掴まれたが、結局、何も起きなかった。
それ以後、やたら幽霊や妖怪みたいなヤツがまとわりつくようになったことだけだ。
巫女さまが姿を現した時には、私を確りと支え、双方の腕にチェーンをつないでいたから、「私を他の悪霊から守ろうとしてくれている」と理解出来たが、アモンみたいな「明らかな悪霊」が何がしたいのかが分からない。
「もしかして、あの手は襲おうとしているのではなく、守り手だったりするかも」と思ったりもする。
この辺は先方が説明してくれぬ限りは分からぬままだ。
ひとつ間違ってはいないと思うのは、あの世の者に対し、お経や祝詞などに念を込めて追い払うことをせず、基本的に対話で説得するやり方を取ってきたことだ。
自分なりに慰め、穏やかに引き取って貰う方針にすると、露骨が危害を加えられることが無くなった。
昔は違和感を覚えると真言を唱えて追い払おうとしたが、相手が腹を立て、信号待ちで後続車がブレーキを掛けずに突っ込んで来た。車を修理に出し、取りに行ったその岐路に、信号で停まると、すぐに後ろから後続車に追突された。二週間で二度の追突事故で、まるで前の車がまったく見えなかったようなノーブレーキ事故だった。
この場合はもちろん、幽霊を受け入れるつもりはなく、穏やかに引き取って貰うだけだ。理解するつもりも共感するつもりもないが、慰めることは出来る。
さて繰り返しになるが、心不全で倒れていた時に、普段は人通りの多い筈の「エレベーター脇の階段」に、十五分くらい人がまったく通らなかった。
半分くらいは意識不明だったが、朧げな頭で「死んでいく時にはこういう流れになるのだろうな」と思った。周囲の物事が、その人が死ぬように、死ぬようにと動く。
追記)平成元年麻アモンの画像を参考添付したが、既におぼろげに劣化しており、ほとんど見えなくなっている。こういう画像は時間の経過と共に変化し、その多くは消えてしまう。