◎扉を叩く音 R070918 「夜の訪問者」
「深夜、玄関の扉を叩く音が響く」話の続き。十五年以上、玄関のノック音が聞こえていたが、令和元年頃に家の中で異変が起きるようになった。その頃に玄関を通り抜けたらしい。
これは心不全発症の翌日の夜中の記録。
令和七年九月十八日午前二時の記録。
腰が悪く二階に上がれぬので、居間で眠っていた。
(最近は殆ど居間で寝起きしている。)
すぐ傍に気配を感じ、薄目を開けてみると、足元に誰か立っている。
明かりが点いているのだが、その誰かが誰なのかが分からない。疑いなく人の気配があるのに、目には見えないのだ。
ぼんやりとした頭で考えた。
「こりゃ全然終わっちゃいないな。これから暫くは、俺を連れて行こうとする者が代わる代わる来るのだろう」
もうすぐ誕生日が来るが、それまで生きていられるかどうか。
ここでルートを点検した。死ねば合理的にものを考えることに出来なくなるから、生前のうちに反復練習をしておかぬと道に迷う。
1)まずトンネルを抜ける。これは体から魂が離れる時の感覚だ。この後は外界は主観的に構成されたものになる。
2)トンネルを出ると、荒涼とした岩石砂漠に出る。まるで火星の景色だ。うっすらと道のような跡があるから、その跡に従って先に進む。
3)道が二股に分かれる。右手に進むと小さな川がある。幅は十メートル台で、細く狭い。だが実際は海のように広くもある。これが三途の川だ。だが、川に見えるのは、自分がそう見ているからで、その人によって別のものに見える。「何らかのこちらとあちらを隔てるもの」だが、これを越えると、自我のまとまりがなくなり、個人としての意識が完全に消える。
4)左の道を進むと、暗い峠道があり、その峠を越えると、生前に見たのと殆ど変わらぬ街がある。街のアイテムは記憶から構成されるので、どこもどこかで見たことのあるものだ。
5)必ず川を越える選択をすること。そっちは霊界で、左の「峠の先の街」は幽界だ。死に切れぬ者たちが棲む場所だ。
幽界は「幽霊がいるところ」。生者の世界と重なっているが、双方とも相手の存在を意識し難い状況になっている。
生者は五感を頼りに暮らしているし、死者は感情だけの存在だから外界を認識する手段が違う。
ここで呪文のように繰り返す。
「必ず川を渡ること」「川を渡ること」。
渡ると、今の自分と言う存在は消失してしまうが、断片となった記憶の素材が再構築され、新しい人格の素材となる。生まれ変わることが出来るのだ。
一方、生前の思いに囚われ、生前の感情に執着すると、幽界の中であてもなく彷徨うことになる。
「もう今生は十分に観た。必ず川を渡ること」
これを繰り返しているうちに、完全に目が覚めた。
昨日、意識を失って後ろに倒れた際に、腰を強く打ったらしく、左腰のこれまでと違う箇所が痛い。
この調子では、これから月末にかけて、様々なことが起きるだろうと思う。心神耗弱状態の者が観る妄想や幻覚と区別がつかぬから、まずは「とにかく冷静に対処すること」が基本だ。
◎女性の周辺(R070915の続き)


◎女性の周辺(R070915の続き)
私自身のことは自分で解決すればよい話だが、他の人は自身の状態に気付かぬことが多いと思う。
15日に「突然現れた女性」について、少し掘り下げてみる。ケースワークのひとつだ。
撮影を十五秒間隔くらいで行っていた時、赤外線カメラに切り替えた直後に、突然、手水場の前にしゃがむ女性が現れた。
画面では、生身の人間なのか、幽霊なのかの違いが分からない。
以下は、これが人間だった時と想定しての話だ。
白いシャツを着て、白っぽいスカート(たぶんグレー)を穿いた女性は、鉢植えの花を見ている。
女性の右側にも鉢植えがありこれが白く映っている。
これで見難くなっているのだが、その鉢植えに重なるように、「女」が女性の背中に取り憑いている。これは明らかに人間ではない。半透明で、たぶん、着物を着ている。小袖にちゃんちゃんこなので、明治以前の姿だと思う。
女の手が女性の腰を強く掴んでいるから、少なからず女性に影響はあると思う。これは主に精神状態の方だが、腰痛が出たりもする。
この程度なら、清め塩、癒し水、酒できれいになるから、こういうのを見たり感じたらすぐにやること。こういうことは日常的に誰の身にも起きている。
女性の右奥にコピーの像が見えるが、前後のガラス窓の二重映りではなさそうだ。角度が変わっている。この女性に化けた別の何かだ。
その一つの答えが、手水場の上に見える、「でっかい女」と「老人」だ。
(他に、たぶん、その中間にも女がいると思うが、これは煙の陰になっている。)
二人とも、女性のことを見下ろしている。
幽霊が求めるのは、存続のための「自我の同化」だから、この女性を自分の中に取り込むことを狙っている。複数が寄って来ているところを見ると、この女性は既に死んでいるか、間もなく死ぬ人のいずれかだと思う。
生きているなら、持病があり、その治癒を願って神社に祈願しに来た。
もちろん、病気とは限らない。事故・事件でも、幽霊は事前に察知して寄り憑く。
「でっかい女」はいつも私の後ろにいて見守っているが、目的は私に寄り憑いた幽霊を捉えて自我に取り込むというものだと思う。私は釣り餌と同じだ。役に立つから泳がせている。いつも後ろにいるのに、私には何もしない。
女性の左側には、この画像でははっきりしないが「眼」が開いていると思う。
これは自分が見えるかどうかを確かめるためのものだ。時々、「あまり長く見詰めるな」と記すことがあるが、これは先方がこちら側を見ているからだ。
かたちが変だが、これは逆立ちをしているため。頭が下になっている。
ここの境内では石碑周辺が「穴(交流点)」で、幽霊が空中に浮かんでいることもある。
今見付けたが、女性の右肩に黒玉が乗っている。
それなら私に起きることと同じことが起きる筈だから、ある程度処置の方法を習う必要がある。ここでいう処置の方法とは、受け止め方のことで、具体的な作法などは、自分もしくは自家の信仰に従えばよい。
大切なのは「等身大で受け止める」ことで、大きくも小さくもなくあるがままに眺めろということ。恐怖感を抱く必要はないが、楽観視したり、たかを括ったりするのは禁物だ。殆どの人があの世を甘く見ている。
いざ始まったら、映画や小説みたいな終わりはない。自我に取り込んでしまったら、もはや切り離せない。先んじて手を打つことが必要だ。
殆どの人にとっては、こんなのは私の妄想に過ぎないし、その解釈でよい。
肩に「誰か」の頭が乗っていてもそれに気付かないのだから、そのまま知らずにいた方が幸せに生きられる。(死が近くなるまでは、だが。)
それに気付く者は、対応が必要になるから、厄介ごとが増える。
ま、電源の入っていない機器が動き出したら、さすがに誰でも「何か常識では測れぬ事態が起きている」と気付く。こういうのは、いざ始まると際限なく起きるし、酷くなる。
◎「ナイジェリア」に関するあれこれ
◎「ナイジェリア」に関するあれこれ
あくまで生活知識(実体験で見たもの、相手が見える範囲で聞いたもの)なので一般化は出来ない範囲です。
家人の勤務先の隣の小学校では、昨年、英会話講師としてナイジェリア人を採用した。男性で英国の大学を出ている。
四月に授業を始めたが、五月に職員の更衣室が荒らされ、キャッシュカードが盗まれた。
不正使用した機械の証拠から、そのナイジェリア人が逮捕されたが、その日のうちに百万円使われていたという話だ。すなわち概ね限度額総て。
ナイジェリアはカード詐欺の本場なので、一般人でも「セキュリティ破り」の知識を持っており、簡単に使われるとのこと。
それなりの教育を受けており、それなりの悪事の知識の方も持っている。それがナイジェリア人と思った方がよいらしい。
当方は「ナイジェリア」と聞くと、「ああまたか」とウンザリする。
数十年前、会社経営者だった頃には、ファックスで投資話(詐欺)が頻繁に来たが、その多くがナイジェリアからだった。
「金採掘」などの嘘の詐欺話に「投資すると儲かる」みたいな誘い文句が書いてある。
母の知り合いに「昔、疎開に来た女性」がいたが、この幼馴染のダンナが作家だった。私小説みたいな話を雑誌に書いたり、演歌の作詩をしていたが、それは表向きで、本業は不動産売買だった。知識人や芸能界で知りえた人の土地を売買するのが本当の生業だ。殆ど詐欺。
親戚の葬式の時に夫婦で来たが、その時に挨拶したら、後に連絡が幾度か来た。
「千葉に良い土地がある。墓地開発で儲かるから、一緒に見に行かないか」
参考までに見に行ったが、一見山林風の土地は地目に農地が掛かっていた。この辺は当方は地域社会学の師匠の許で修業したから、用水路を見ればわかる。
「これは農村開発事業で作った用水路だから、農用地に指定されていますよ。農地転用の届を農業委員会に出して、農家全員の了解を取る必要があります。無理ですね」
それでもなんか粘っていたが、何のことはなく、当方を通じて郷里の父から金を出させようと考えていたのだった。
さすがにそれからは付き合うのは遠慮することにした。
だが、その本人ではなく、腹心の不動産屋が、時々、当方の会社にも来た。
「こんな良さげな投資話があるのだが」
そう言って出したのが、英文のファックスで「金を売ります」と言う話。発信元を見ると、ナイジェリアだった(w)。
東京の経営者なら「ナイジェリア」が何かは知ってるのに、よほど当方が甘く見えたんだな。
コイツの魂胆は、投資用で金を引き出し、それを先方には渡さずに自分たちがポッポに入れるというもの。投資詐欺だ。
資金はすぐに無くなって終わり。
「いつも芸術家や小金持ちから、投資名目で金を巻き上げているわけだな」と思った。
「年10%の配当があります」とか「モンゴルの金山で資金が五倍になります」の類の話だ。
この手の「何をどう動かすか」が見えぬ話は全部詐欺だ。
ナイジェリアは当時から国際詐欺の本場だった。
ついでだが、この「作家の取り巻き」は、「山下財宝の金を買わないか」という話も持って来た。
例によって英文ファクスがネタ元だったが、「フィリピンから船で金を持ち出すので、洋上で取引したい」と書いてあった。
読んですぐにゲタゲタ笑った。
売り渡し価格が普通の取引価格と同じで、買っても何も利益がないし、持ち帰った時に課税される。しかも洋上だから船に現金を積んで行かねばならない。
「これでは金だけでなく、命も取られますね」
そもそも山下財宝については、家人の母の実家の州にあったもので、マルコスが掘り出している。マルコスはそれを米軍に頼んで米国に直接運んだ。軍経由だと通関がないから、将校に賄賂を渡しておけば問題なし。マルコスは米国内に莫大な資産を築いていたが、これはそれが原資だ。
金を掘り出した時の作業員が全員殺された話は日本でも知られているわ。
山下財宝は貴金属のインゴットだが、日本軍が検品した時に極印を打っている。「何か打ってある筈だが、それは何?」と訊けば、少なくとも少しの間は遊べる。100%が答えられない。
その「作家の手下」の裏では作家本人が糸を引いていたと思うが、手口が杜撰だった。だが、それはとりもなおさず、それだけでだまされる人間がやたら多いということだ。
投資は「何をどう動かすか」が具体的に分からない場合は手を出したらダメだ。
もちろん、「ナイジェリア」関係は、そもそも存在自体が詐欺だと思った方がよい。人も同じで、そもそも詐欺師は肩書なんかは持っていて当たり前だ。これが無いと信用されない。
日本でも、「T大法学部出で、公的団体の役員」、みたいなキャリアが真実なのは当たり前で、そこから先が詐欺師の張る仕掛け(罠)だ。霞が関界隈にはよくいる。
英国の一流大学を出た人が普通にカード詐欺を働く。
これで一般労働者を移民に迎え入れようだなんて、どんなおめでたい国だよと、正直に思う。
政治家や役人は生活知識が乏しいわけだな。バカ丸出し。
これをブログで一般公開したら、「差別的だ」と言う奴が出そうだ。パヨはそれこそお目出度くて、バカ丸出しが多い。
「国籍の壁のない国を目指す」だってさ(ちなみにノダ氏談)。www
日本は温室と同じで、外界と隔てた内部の環境を管理し育てたから、中が安全で病害虫が少なかった。温室の敷居を取り払ったら、害虫や獣に好き放題に食われる。
官僚とか政治家は、生身の詐欺師とやり取りしたことがないから、頭の中が「お花畑」だ。
ま、自民党だと、政治家本人が詐欺師ではある。
◎病棟日誌(兼霊界通信)R070916「二人組だった」
◎病棟日誌(兼霊界通信)R070916「二人組だった」
一つ目の「Xデイ」は17日午前5時。
もう翌日だった。
朝、ロビーに行くと、Aさんが一人で座っていた。
「駐車場は私三番に入れたから」
え。自分で運転して来てんのか。
「つい幾日か前まで入院してたのに、自分で来てるのか。さすが不死身のババアといわれるだけある」
この辺、当方はぶしつけなことを普通に言う。悪意からではないから腹を立てる者はいない。この場合も褒めているのであってさ。
実際、Aさんの声には張りがあり、すぐくたばる感じじゃない。
心臓周りとか腕の動脈まで取り換えている状態なのに、Aさんの生命力たるや恐ろしいほどだ。
神社を開いた方がいいな。
だが、明らかに当方より病状の思いAさんに気を遣われるのは、あまり縁起のよい話ではない。
ま、「たぶん、俺の方が先に死ぬから、逆に言えば、俺が生きている限り、あなたは死なない」と本人に伝えてある。
当方が立ってれば、それだけで心強いでしょ。
この日の担当はオヤジ看護師のタマちゃんだった。
タマちゃんには、翌日の状況について説明してある。
言葉だけならだれも信用しないが、当方の場合は写真を一枚見せればそれで何一つ言われない。
ネットには公開できない類のものを見れば、これが与太話ではないと分かる。
「木曜日にここに来なかったら、たぶん、S病院の方に入院してるから」
さもなくば葬儀屋だ。
この日は各種の検査が入っており、別の看護師が来てその流れを説明した。
「検査結果を見て次の通院日に調整しますね」
「はは。二日後の話をしたら、それこそ鬼が笑うわ」
「は?」
「いや、何でもない。あなたは知らなくともいいことだから」
CTとか骨密度他を調べたので、治療の開始が遅くなり、この日は病棟を出る最後の患者になった。
帰路、ガーゼを買うために百均に立ち寄った。
屋上駐車場からエレベーターで降り、買いっ段の前を通ると、突然、雷が当たるような「ダアン」という衝撃が来た。
続いて、震度6くらいの地震のような揺れが来る。
「あ。心臓だわ」
典型的な心臓病の自覚症状だ。
「ありゃ。前倒しで来ちゃったか」
とりあえずニトロは持っている。
だが、すぐに手足が動かなくなった。
「こりゃ狭心症とか心房細動じゃなくて心不全だわ」
立っていられなくなり、階段に座り込む。
救急車を呼ぼうにも、スマホを取り出せない状態だし、誰かに声を掛けようとしても声が出ない。
「さすが俺の直観は恐ろしいな。きちんとこの危機を言い当てている」
だが、ちょっとした誤算は、これが12時間早く来たことだ。
予定時刻付近なら、心臓の専門病院の救急窓口の前で待ってようと思っていたのに。
すぐに気が遠くなったが、頭では「やっぱり予言みたいなのは日時が当たらないのだな」と、この状況にそぐわないことを考えた。
目が覚めたのは、たぶん、七八分後だ。
この間、誰も通らなかったと見える。
ま、壁に寄りかかっていたから、「ジーサンが休んでいる」と思ったのかもしれん。
重大な局面では、大体は「巡り合わせ」みたいなものがあり、ツイている人は良い方に良い方にと動くが、逆の場合は、日常ではありそうなことが全く起きなかったりする。
救急車を呼んでも、塞がっていてまったく来ない、とか。
心臓の場合は40分以内に処置しないと、まずは助からない。
心疾患の場合は、発作が収まると、案外平気になる。
目が覚めると、胸部症状は無くなっていた。
この後で検査しても、何も出ないから、病気を見過ごされる。
検査で出るのは、梗塞など慢性化した時だけだ。
ま、不整脈が少しでもあれば、もう既に心臓病だと思った方がよい。
帰宅してからは、さすがに静養した。
夜中に目が覚めたが、やはりよく眠れない。
日中の出来事で「済んだ」わけではないことがあるためだ。
あれは予行演習で、本番が来るかもしれん。
だが、三時過ぎにはまた眠りに落ち、目が覚めたのは六時だった。
ぎりぎりかわしたのかもしれんが、しかし、それは約定が効力を発行するということだ。
これから、先方が好きな時に、当方の足指三本が無くなる。
あの世への召喚をかわすためには、「人生で大切にして来たもの」を代わりに差し出す必要がある。
一度目は会社だった。すなわち財産の総て。
二度目は総ての道楽。
今回はついに差し出すものが指しかなかった。
次はどうすんのだろう。脚?
月末くらいまでは気が抜けないが、とりあえず、危機の一つ目はクリアした。
階段の下に蹲っている時に、目の前に人影を見たような気がするが、それは二人組だった。
やはり当方へのお迎えは二人で来るのだと痛感した。
そう言えば、つい一日前にも、カメラの前に二人組が立っていた。
幽霊は「感情だけの存在」で、感情は波の性質を持つ。
波動を感じ取れる者は、目視するしないに関らず、「そこに何者かがいる」と分かる。
音叉が同じ波長の音に共鳴するのと同じ理屈だ。
これを知っている人はごくわずか。ブログで情報を公開しているが、見たとこ、これを知る人は五人くらいだと思う。
まだ今月中は気が抜けない。
重ねて来られたら、次は抵抗できないと思う。
しかし、まさか前倒しで来られるとは予想外だった。
◎霊界通信R070915「幽界へようこそ」






◎霊界通信R070915「幽界へようこそ」
あの世への召喚を回避できる場合があるので、この日も神社に参拝した。
だが、思い知らされるとはこのことだ。
最初にロケーション(配置)を確かめ、社務所のガラス窓でセルフチェックを試みた。
その場で画像を開くと、光の屈折がおかしなことになっている。遠近が狂っているのだ。こういうのは、多くあの世とのかかわりで生じる。
「幽霊は可視域の境界線にまたがって存在しており、光がゆらぐことで存在が分かる。映画の『プレデター』の透明宇宙人と原理は同じ」と記すのは、このことだ。
私は幽霊の所在を確認するときには、人影ではなく「光の進行方向」を見ている。そこに何かがいる時には、景色が曲がったり消えたりする。不自然に角度が変わったり、消えたりする時には、そこに何かしらの原因がある。
そのままの位置で振り返って、景色を照合してみたら、やはり遠近がおかしなことになっていた。
すかさず、赤外線カメラを取り出して、ほぼ同じ位置からガラス窓を撮影した。
この間、十五秒くらい。
画像を開くと、思わず「なんじゃこりゃ!」。
モノクロ画像を見て貰うと分かるが、すぐに目につくのは、手水場の前にしゃがむ女性だ。白っぽい上下を着た30台からアラ40くらいの年恰好に見える。
いったい、どこから出たんだよ。
これが赤外線撮影の特徴だ。想像の及ばぬ者が写る。
「ま、たまたま鳥居を潜って参拝客が入ったかもしれん」
きっと私が見逃しただけ。
予想のつかぬ事態が起きた時には、人間はよくありがちな要因を探す。
だが、この女性の右側には、前後のガラス窓への二重映りと思しきもう一人の女性の影が右側に映っている。
アリエネー。
ここには確かに前後二枚の自動ドアがあるが、私のそれは、左側にごくわずかに映っているだけ。右ではない。
鮮明な女性が生身の人間だったとして、「そっくりな奴」が傍にいるとなると、過去に私も幾度か経験した「自分にそっくりなひと」が現れるケースが存在する。
これは、幽霊が対象(人や他の幽霊)に取り憑く時のやり方だ。相手に自分を似せて、同調・同情することで、その相手の自我の中に入り込む。これはいわゆる「憑依」とほぼ同じ解釈でよい。
生身の人間だと、死期が近づいている時に現れるので、お迎えのひとつと考えてもよい。西欧の「ドッペルゲンガー」はこの類の者だ。
だが、この女性が詳細に検分しているのは、生け垣の花ではなく「ひとの頭」のようにも見える。
生きている女性ではないのかもしれん。この手のがバラバラ出て来るから赤外線撮影を控えるようにしたわけだ。
何とも説明に困る。
TPOを整えると、赤外線カメラの使用で、飛躍的に「何かが写る」ケースが増える。で、すぐに気持ちが悪くなり止めたくなる。
デロデロの状態だが、他の人や周囲のことはどうでもよい。
とても手が回らぬから、自分で解決しろ。
とりあえず、私の左側の「木の枝」の遠近が崩れていたのは、私の横、すなわちその枝の前に、背の高い女(私がイリスと呼ぶ悪霊)がいて、私の左胸に手を差し入れているのは分かった。
数か月前から、圧力を覚えていたのはこのせいだった。
「二日後に重大な危機が来る」というのは、この影響で生じた警告だと思う。
殆どの人は何も見えない筈だが、これまでのケースでは五六人は同じものが見えるらしい。
それと「確かになんか変だな」と思う人が幾人かいる筈だが、長く覗き込むのは止めておくこと。
画像から直接何か絵く影響が生じることはないが、それと覗くことで、同調しやすくなる場合がある。
いざ、見え始めると、どんどん見えるようになる。それと同時に、幽霊の側からも見えるようになるから、気色の悪いことが増える。ホラー映画なんかで最も怖い場面を普通に目にするようになると、日々の生活が楽しくなくなる。
時々、「私は霊感が強くて」と語る人がいるが、それを聞く度に「笑わせるな」と思う。次々に見境なく現れるようになると、対処のしようがないし、想像や妄想との区別もし難くなる。
行き着く先は、「今、自分の肩に手が乗っている」とかに気が付くようになってしまう。手の内はよいがそれが「頭」になるんだぞ。しかも他人は殆どの出来事を理解出来ないから、ひたすら孤立し、「イカレた奴」に成り下がる。
あの世に関わろうとする者は、死期が近づくと、「全身が腐って死ぬ」か「誰かに殺される」二つの道しか残されない。
私は宗教家でも霊能者でもないのに、あの世ウォッチングを続けているせいなのか、もはやあちこちが腐り始めている。
期限まであと二日だが、唯一の望みは「アモン(大悪魔に相当)に抱えられた後でも死ななかった」ということだ。
背後に大きな女の悪縁(悪霊)がいるのだが、中心の奴はことによるとアモン本体かもしれん。
もし木曜に達してもまだ生きていられれば、やはりアモンらとも何らかの繋がりがある(敵ではない)と言うことだと思う。
実際、機会は幾度もあったのに、これまでは何もしなかった。
弊害を寄こすのは、身の程を知らぬチンピラレベルの者だ。
ここが幽界への入り口だ。
カメラのすぐ右前にいたジジババが見える人は結構いるかもしれんが、癖が悪い相手なのでけして覗き込むな。同調すると、この後、これと似たような奴が寄って来るようになる。
これから夜通し対応するので、これは走り書きだ。
眼疾で文字がよく見えぬので、誤変換があると思う。
呑気に書いている場合ではないわけで。
◎霊界通信R070913「ようやく見つける」




◎霊界通信R070913「ようやく見つける」
先日、看護師のエリカちゃんと話している時に、この病棟の特異性に気付いた。
「(稼働中の)病院は幽霊のあまり出ない場所だ。それは、患者にとってはそこが『けして長居したくない場所』だからで、お墓と同じ。世間の印象と現実は違っていて、病院やお墓ではあまり幽霊は出ない」
新宿駅の東口よりもよっぽど少ない。そこは多いところ。
「だが、この病棟では頻繁に老婆や黒いひとを見る。これはこの病棟が『治癒して退院する患者』がいない場所のためだ」
病棟から出る時には、転・入院するか、葬儀屋の二通りだけ。転院は百人に一人もいないので、入院し、そこで死を迎えるワンウェイだ。
行く先があの世だけなら幽霊は出る。
私は病院か神社お寺にしか行かないから、今たかっているのは、「病院すなわちこの病棟で拾った」ということだ。
何故に私がよく拾うのか。それは私が額に「ひかり玉」を持っており、これが幽霊の側から見えるから、一目参に寄って来る。それが理由だ。
だから、交流機会がやたら多い。
好むと好まざるに関わらず、接点が生じる。これが「神霊体」であることの意味だ。
それなら「腎臓病棟の患者」を念頭に置いて探って行けば、私にしがみついている者を特定出来る。
赤外線撮影をするのはこういう時だ。
ちなみに、所持しているのにこれをあまり使わなくなったのは、ファインダに時々、気色の悪いものが見えるからということ。ファインダで見えている場合は画像にはうまく残らぬことが多い。目視するときは画像に残せぬのと似たような傾向だが、理由はまだはっきりとしない。
とりあえず赤外線カメラを持参して、神社に参拝した。
これ一発で分かった。
私自身を撮影した時に、右側に白い煙が見えるが、灌木の類は20㍍以上後ろにある。この煙は手水場の柱の前にあるから、すなわち樹木ではなく霊霧だ。左側の足元の白煙も同じ(こちらは鉢植えと重なっており判別し難い)。
よく見ると、右側は寝間着を着た老婆で、顔を私の右腕に押し付けている。
体に触れられると相手のことが分かるのだが、やはりこれは私の病棟で見た患者の一人だと思う。
過去にこのブログにも記したが、入り口近くにベッドごと運ばれてくる入院患者で、「ミイラみたいに瘦せ細った」女性がいた。
私が前を通ると、「もはや死に瀕しているのに、私のことをガン見していた」。
あれはやはり私の「ひかり玉」を見ていたのだ。
「それなら、俺は追い払ったりしないから気が済むまで傍にいるとよい。お寺にも神社にも頻繁に行くから、どこか自分に合ったところで降りて、供養して貰うとよいよ。だからもう俺にしがみつくなよ。そうでなくとも障碍者なのに、今は二倍三倍の苦痛を味わっているからな」
私を失うのは、自分を供養してくれる者を失うことだぞ。
とりあえず、交流は出来た。これで三人(体)目だ。
もはや予告の日まであと三日だから、これが成ったことを願うしかない。
座して宿命を待つ。
ちなみに、カメラのすぐ前に立って、私をガン見しているのは、あのオバサンだ。髪の毛が見えているが、背中までの長さのよう。ならこの人。最大の難物はこの女性だ。
少し気が楽になったのは、最初に手水場と鳥居付近を撮影したが、ファインダを覗いている時には、着物の女性と女児が見えたことによる。いずれも鳥居付近に立っていた。
女性は「巫女さま」ではなかったが、女児は「お稚児さま」だと思う。
「それなら、俺が今月のうちに死ぬことはないだろうな」
もちろん、これは願望に過ぎない。
「正体を探り当てる」のは、あの世対策として重要なことのひとつだ。相手が分かれば、その相手に合った対策を打ち出すことが出来る。
私は僧侶でも神職でも霊能者でもなく、まったく逆の方向からアプローチしているが、徐々に理屈が分かって来た。
死後の世界を解明する方法は、自然科学の観点から進むのが最も確からしい。
この数日、それまでとはガラッと変わって、食事が美味しい。
ようやくミイラ化を止められそうだ。
あとは17日の「お迎え」の訪問をキャンセルして貰うだけ。
お土産が必要なら、足の指を持たせる。
追記1)画像を開いた時、最初は白い影が「母親か」と思い、ドキッとした。
母が傍に来ているなら、もはや逃れようもないお迎えだ。
肉親が「お迎え」に来て、この世に留まったケースは一例もない。来ないのではなく、来れば必ず一緒に旅立つからだ。
私もそうすると思う。
追記2)ご供養を始めたが、まだ心房細動が収まらない。
◎病棟日誌R090913「俺の方が」
◎病棟日誌R090913「俺の方が」
ロビーに行くと、Aさんが座っていた。
「駐車場が塞がっていたでしょ。ごめんね」
当方は足が悪いので、最近は玄関の直前の障碍者用スペースに入れている。よって1番だ。
土曜は混んでいたのか、車が沢山来ていたらしい。
Aさんも障害者用スペースに入れるが、この日はそこしか空いていなかった。
「別に大丈夫ですよ。どこでも」
ゆっくりだが、歩いて来ればよいわけで。
ま、坂は上れないから平地であれば、だが。
Aさんは、大動脈から腕のまで人工血管が入っている。
カートを押して歩く障害老人だ。実年齢は58歳くらいだが。
エレベーターに乗り、ドアが閉まると、溜息が出た。
「あの状態の人に気を使って貰うほど、俺もヨレヨレだということか」
確かに、ヨチヨチと歩いている。
パンツやズボンを穿くのに、片足で体を支えられない。
エレーがっかりしたわ。