日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎病棟日誌 悲喜交々 4/23「沈黙の病」

病棟日誌 悲喜交々 4/23「沈黙の病」
 長女に防煙マスクを贈るべく、早朝から郵便局に行き、それから病院に行った。
 病棟が開くのは八時からなので、患者たちが一般ロビーの待合にいたが、先頃、循環器の病因から戻って来たNさんを囲んで話を聞いていた。
 その光景がまるでダビンチの「最後の晩餐」そっくりな構図だった。Nさんを囲んで七八人が耳を傾けている。

 Nさんは動脈硬化が進行し、左足の中指を切断した。その後、切断面に肉が盛り上がるまで入院したので、二か月その病院にいた。
 足の中指一本だけだが、やはり歩行に支障をきたし、杖を突いている。踏ん張ったりすると、足のバランスが崩れ、容易に転んでしまうそうだ。
 ま、これは分かる。親指ならだれでも想像がつくと思うが、普段は意識もしない小指にいざ傷がつき使えなくなると、歩行が困難になる。指が五本あるのは、「各々必要だから」ということ。
 Nさんは一月に、当方とまったく同じ時期に発症し、同じ経過を辿ったが、治らずに指の切除まで行った。
 思わず、「指1本で済んだなら、まだ幸運ですよ。腎不全患者は動脈硬化が普通の人の十倍速で進みますからね」と慰めた?。

 Nさんのベッドの向かい側には47歳の患者がいたが、左脚が脛から無くなっており、右足の親指も切られていたそうだ。
 やはり腎不全患者だ。その年齢では糖尿病経由ではなく、やはり薬物だ。ステロイド系の薬や先日の紅麹のような健康食品、サプリなどで、体に合わぬ人は一発で腎不全になる。
 腎不全になれば、普通の人の十五年分かかる動脈硬化が一二年で進行してしまう。同じことが心臓でも脳でも起きるから、足ならまだまし。
 怖いのは、発症するまで自覚症状がまったく無いことで、いざ出れば後戻りが利かない。
 例えるなら、存在すら気付かぬほど「大人しい人」だと思っていたヤツが実は凶悪犯で、いきなり長ドスを振り回して暴れる、みたいな話だ。

 Nさんの近くで話を聞いていたら、何だか変な感覚があったが、帰宅して少し仮眠を取った後で「左足が痛い」ことに気付いた。最近は調子が良かったのに、この日の出来事と関係があるのか?

 この日、治療後に食堂に行くと、トダさんが椅子に座っていた。
 やはり食事が摂れぬのだそう。
 その時にこう思った。
 「自分がどう思われるかはどうでもよく、助かる者を放り捨てると、後々後悔するかもしれん」
 ひとまず、食事の工夫について話をして、家庭内の状況を聞いて置こうとしたが、別の患者たちが入って来たので、対話はそこで終了になった。コロナ以後、食事の際に話をすることが憚られるようになり、それは今も続いている。
 帰る道々、思案したが、「当方があの世に関わっていることを知る看護師に、トダさんの状況を聞き、その後でそれとなく示唆する」と言う手があることに気付いた。
 幾人かにあの世画像を見せているが、動かしがたい証拠を目にした者なら、抵抗が幾らか少ない。

 少し気を付ける必要があるのは、他人に関わると、その人の抱える業のようなものまで、当方が引き受けるかもしれんことだ。
 幽霊にとっては、「話に耳を傾け、思いに寄り添う」当方のような者が望ましいから、乗り換えて来るということ。
 外出する度にあちこちから手が伸びて、当方の体を掴む。
 経験がない人には、ただの妄想話だが、一回死んでからは、当方はもはや別の領域にいると思う。そう認識すると気が楽だ。
 何せ今は左後ろにいつも誰かの影がある。
 十六七年間は、玄関の扉の外にいたが、これが家に中に入り、台所のカウンターの陰に立った。今は堂々と一㍍の間合いで立っている。視界に影が入る度に「それ以上近づくなよ」と告げるのだが、そいつの後ろにはムカデ行列が続いている。
 さすがに慣れ、何とも思わなくなった。
 怖ろしいのはひとの心で、生死を問わず基本が醜い。生きているから、あるいは死んでいるからなどは関係なく、自我がある限り、独りよがりに考えるように出来ている。

 それが醜い。

◎夢の話 第1129夜 崖崩れ

夢の話 第1129夜 崖崩れ
 四月二十三日の午前四時に観た夢です。

 荒れ地の間を歩いている。
 周囲は茶色の山々だ。
 山道を進んで行くと、斜面が崩れたところに差し掛かった。
 「樹木が無いから、雨が降ると地盤が崩れるのだな」
 山が半分崩れ、まるで崖のようになっている。

 その崩れたところを見ると、骸骨が半身を出していた。
 「うわ。仏さまじゃないか」
 ひとつではなく、他にも数体の手足が見える。
 元は墓地か、あるいは・・・。
 先に進むと、本格的に斜面が崩れており、何百と言う骸骨が現れた。
 「この国では、人が死ぬと火葬にするきまりだ。だが、この仏さまたちは服を着ている。死んだ時のままということだ」

 土の下には、何万人分の骨が眠っている。
 一体何が起きたのだろう。
 ここで覚醒。

 これが何かの示唆でないことを祈る。
 ま、長女へ送る防煙マスクを梱包したから、良からぬ想像をしたのかもしれん。

◎芝桜は八分咲き

◎芝桜は八分咲き

 四月二十日には、家人の要請で横瀬町まで芝桜見物に行った。

 日曜なので、普通の時間帯に移動しようとすると、行き帰りとも渋滞に巻き込まれるから、六時台には出発し、八時前に現地到着するようにした。

 ほんの数十分の違いだが、状況がまるで変わる。

 生憎の小雨日和だったが、すんなりと現地に到着した。

 

 私はこの花が苦手なので、羊山公園の中まで家人について行き、「ここに来た」という証拠写真を数枚撮ると、自分だけとっとと駐車場に戻った。ダンナの滞在時間はほぼ十分。

 芝桜は匂いがキツく、これだけ大量に花が咲いていると、まるで『ババアの香水』を嗅がされる感じになってしまう。ちなみに、ここは『フランス人の香水』でも可。『フランスの香水』ではなく、あくまで『フランス人の香水』だ。

 体調もイマイチだったので、眩暈がする。

 駐車場で出口を見ていたが、同じように感じる男性が割といるらしく、大体二十分くらいで戻って来る男性がいる。

 

 しかし、全国どこに行っても、そこで目にする観光客はジジババか中国人だ。

 とりわけ、後者は今やどんな山奥に行っても必ずいる。一体どこで情報を仕入れて来るのやら。

 そして後者が多く来る場所には、ゴミが散らかっている。

 (この日はあ朝早かったので、それほど深いな思いはしなかった。このところ出先で同じ感想を持つことが多かったので記した。)

 「郷に入らば」と言う格言は、あの国由来ではなかったかと思うが、それが通用するのは、大体のところ日本人だけだ。やたら起源を主張する奴はいても、その地のルールに従おうとする者は少ない。

 移民を受け入れて、これまで培って来たものを壊すくらいなら、そんなのを拒否して自然消滅する道を選んだ方が得策かもしれん。

 少し脱線した。

 

 花畑の向こうに武甲山が見えるアングルが美しいのだが、この日は小雨日和で山頂に傘がかかっていた。

◎病棟日誌 悲喜交々4/20「意識飛ぶ」

病棟日誌 悲喜交々4/20「意識飛ぶ」
 土曜は通院日。
 開始後、二時間くらいで、体調が悪くなった。ムカムカするし、鳩尾が重い。急に便意が始まった。
 生あくびも出始まったので、「血圧が急激に低下している」と分かった。体調がイマイチの時に治療を受けると、時々こういう風になる。
 血圧を計測して貰うと、80台だった。
 「ひとまずベッドの角度を戻し、脚の方を上げますね。具合が悪いようなら、すぐに呼んでください」
 看護師に呼び出しスイッチを渡された。

 十分くらい経ったが、全然良くならず、鳩尾は鈍痛に近くなった。血圧の上下向が著しいと血栓が出来やすくなり、この病棟でもその症状で循環器に搬入される患者が時々いる。
 だが、便意の方が強くなったので、そっちが優先だ。漏らしたらさすがに気落ちする。
 「昨日の夜にピートルを飲んだから、腹具合が悪い。中断してトイレに行かせてください」
 この日の担当はウエキさんだった(五十台女性)。
 すぐに機械を外し、車椅子に乗せられて、トイレに行った。
 トイレの中に入ったところで、意識が飛んだ。

 我に返ると、既に自分のベッドで、看護師が三人がかりで当方をベッドに戻していた。
 「ありゃ。俺はトイレに入った筈だが」
 それから、ベッドに戻るまでの記憶がない。
 すると、ウエキさんが謎に答えてくれた。 
 「トイレの中に入ったところで、かくんと頭が落ちたから、すぐに他の看護師を呼んで、連れ帰ったんですよ」
 すぐに血圧を計測したが、やはり上が60台だった。
 機械を繋いで、輸液を戻して血圧を上げることになった。

 「俺はトイレはしてないですよね」
 「落ち着いたら、また行きましょう」
 だが、意識が戻ってみると、既に便意は消えていた。
 総てが血圧の急激な低下による症状だ。最初に生欠伸、次にお腹の調子が悪くなり、鳩尾がムカムカ。ここで嘔吐する人もいる。ちなみに「鳩尾ムカムカ」は心不全の症状とも同じだから、注意が必要だ。時代劇では「心の病」で胸に「差し込み」(痛み)を覚える場面がよくあるが、実際の心不全は痛くない。
 鳩尾に砲丸投げの玉を入れたように、重く冷たくなる。痛くなるのは最終局面で、「痛い」と口に出せぬくらいだから、差し込むどころではない。この時点で処置が始まっていなければ、そのままこの世とオサラバだ。
 救急処置室の前にある長椅子に座っていると、そういう患者が運ばれる場面を時々目にする。

 こういう症状がたまにあるので、「今日死ぬ」とは思わなかったが、実はかなりヤバくて、腸内にあるものを排出したくなる。
 便意を催すのも危機のサインで、動物は死に間際に腸の内容物を排出して死ぬ。ゴキブリが「ホイホイ」に捉えられると、死に間際に便を排出するので、脇に便の塊が盛り上がっている。象も同じ死に方で隣には山だ。生き物はそういう仕組みになっている。
 状況的には、結構危なかった、という意味だ。

 結局、800グラムくらいの水を戻して治療を終えた。
 この頃には血圧が上がっているので、かなり楽になっている。
 晩年の母は、時々、血圧が60台に下がり、救急窓口を訪れていたが、長患いで体力の乏しい人だったから、どれだけ苦しい思いをしたのだろう。自分が同じ状況になって、初めて母の苦しみを理解した。

 器具の取り外しには、若手のユウコちゃんが来た。
 「意識が飛んだのが、便座の前に立っている時でなくて良かったよ。それで意識を失くしたら、便器に顏を埋めて溺れたかもしれん。そんな情けない死に方がある?」
 冗談なのだが、マジに起こりうる話だ。トイレのドアを開けたところまでしか記憶になく、その後の数分間は何があったか分からない。。十分に溺れることが出来る時間だ。
 便器内の水で溺死かよ。

 帰り際にウエキさんに会ったので、「今日も天使に見えましたよ」と伝えた。容体が悪い時には「看護師さんが天使に見える」という話をしたことがあるので、その流れだ。
 するとウエキさんは、「そこは『今日も』ではなく、『いつも天使だね』と言ってね」と笑っていた。
 当方も「こりゃどうも。言葉が足りなくてスマンね」と返した(w)。

 画像は駐車場の端に咲いていたつつじ。
 今週が芝桜が最盛で、来週がつつじらしい。
 否応なしに時間が過ぎて行く。
 当方の心はいつも晴れて気分が良いが、体の方は着実に崖に向かっている。今は「燃え尽きる前の蝋燭の炎」なのかもしれんが、別にそれはそれで良いと思う。

◎夢の話 第1128夜 ピノキオ

◎夢の話 第1128夜 ピノキオ

 四月二十日の午前四時に観た変な夢です。

 

 僕には三つの悩みがあった。

 そのひとつ目は名前のことだ。

 僕の名は竹中半兵衛と言う。まるで侍のような名前だが、実際に先祖のその名前の人がいたらしい。

 祖父はその先祖にあやかって、初孫の僕に「半兵衛」と名付けさせたのだった。

 この名前のせいで、僕は小学生の時に散々揶揄(からか)われた。

 

 二つ目は鼻のことだ。

 どういうわけか、小学五六年生の頃から、僕の鼻は時々大きくなるようになった。

 興奮すると、急に鼻が高くなり、数センチほども伸びる。「膨れる」と言うより、前に「突き出る」と言った方が正確な表現だ。このことが他の生徒に知れると、僕のあだ名は「ピノキオ」から「ピノ」になった。

 中一になると、これが五センチに達するようになった。

 五月の連休明けのこと。

何時になく気温が上がったのだが、まだエアコンが入る季節ではないから、窓を開け、皆がTシャツ一枚になった。隣の席は幼馴染のヨシコちゃんだったが、この子が見ている前で、急に僕の鼻が大きくなり始めた。

 「こりゃ不味い」

 僕は窓側の席だったから、外の方に顔を向け、深呼吸を三度した。

 だが、鼻は静かにならず、どんどん高く伸びた。春先だったことも関係している。

 すぐに、左の列のタカオが気付き、声を上げた。

 「おい。ピノの鼻がデカくなってるぞ」

 皆が僕を見た。

 「おお。スゲー」「大きい」

 皆が騒いだので、僕は鼻を静めようと焦ったが、そういう時には余計に思うようにならぬものだ。

 どんどん鼻が突き出た。

 「なるほど。半兵衛が『ピノ』と呼ばれるのはこういうことかあ」

 教室中が沸いた。

 僕は焦りに焦ったが、そのせいで、少し鼻血を出してしまった。

 これでは、さすがに授業にならぬので、担任の男性教師は僕に「保健室に行け」と命じた。

 「ヨシコさんも保健室まで付き添ってあげて」

 そこで、僕はヨシコちゃんと一緒に、学校の保健室に行った。

 

 保健の先生は、若くて美人だった。

 僕を見ると、すぐに今起きている事態を悟った。

 「どうしちゃったの?ぶつけた?」

 これにヨシコちゃんが答える。

 「半兵衛君は、時々、鼻が大きくなるのです。だから皆にピノキオって呼ばれてますね」

 「すごいね。本当にこんな風になるんだ」

 先生は脱脂綿を取り出すと、鼻血の出ている鼻の穴にそれを詰めてくれた。

 「ここで少し休んで行きなさい」

 そしてヨシコちゃんに、「あなたは教室に帰りなさい」と告げた。

 

 ヨシコちゃんが去り、僕は先生と二人だけになった。

 「竹中君は、時々こんな風になるの?」

 先生は僕の鼻に顔を近づけて詳細に眺める。

 先生の顔が間近に見える。何だかよい香りがした。

 この日はすごく暑かったので、保険の先生も白衣を脱ぎ、Tシャツ一枚になっていた。

 首回りの開いたシャツだったから、先生の豊かな胸の谷間が見えた。

 すると、僕の鼻がまたひと際高くなった。

 「あらあら。なるほど。こんな風に大きくなるわけね」

 僕は思わず先生に謝った。

 「すいません。変な気を起こしたわけじゃないのです」

 だが、そう言ったことで、逆に先生が気付いた。

 「もしかして、女子を見るとこんな風になるの?今日は皆が薄着になってるから」

 僕は素直に「はい」と答えた。

 先生は少しく思案していたが、幾らか言い難そうに僕に訊いた。

 「変な風になるのは鼻だけなの?」

 女性を感じて変化が起きるなら、きっと別のところにも起きるに違いない。先生はそう考えたのだ。

 

 「はい。実はそうです」

 僕は恥ずかしかったが、正直に答えた。

 「下の方もちょっと」

 最初に「僕には三つの悩みがある」と言ったが、三つ目がこれだった。

 鼻が高くなる時には、同時にイチモツも大きくなっていたのだった。

 それも途方もなく大きくて、もやもやした気持ちを抑え込まぬと膝に届いてしまいそうになる。

 「そこじゃあ、見せてというわけにも行かないわね」

 先生は少し前に出て、僕の下半身を覗き込んだ。

 先生の胸の谷間が一層近くに見えた。

 で、すぐに僕のイチモツが反応してしまった。

 すぐにズボンの膨らみでそれと分かるほどの大きさになった。

 先生はそれを見て息を飲んだ。

 「あらま。本当だわ」

 また少し思案する。

 「それなら、教室には戻れないわね。じゃあ、私の父が経営している病院に行って相談しましょう。父と兄は内科医なのよ。私もついて行ってあげるから」

 

 僕は先生と一緒に学校を出て、市内にある先生の家の病院に行った。

 家族だから、先生が用件を伝えると、すぐに診察室に通された。

 最初に先生が父親らしき初老の医師に、僕の病状を伝えた。

 「この子は思春期で今はちょうど大人になろうとしている時期なんだけど、女性を性的な対象として捉えると、すごく大きくなるのよ」

 「え。当たり前じゃないか。中一くらい男子なら皆がそうだよ」

 「でも、この子は鼻が高くなるし、下の方も普通じゃちょっと考えられないくらい大きいの」

 「病院で診て貰うほどってこと?」

 「そうよ」

 「じゃあ、ちょっと診てみようか。お前は席を外していなさい。女性がいればこの子が恥ずかしくて堪らない」

 「はい」と返事をして、保険の先生が部屋を出て行く。

 

 医師は改めて僕に向き直った。

 「どんな風に大きくなるの?どれくらい?」

 そんなことを言われても、本人には上手く説明できない。

 「鼻は五センチくらいですね。あそこは・・・、大体、膝くらいまでです」

 医師の眉間に皺が寄った。

 「膝だって。まじかあ」

 医師は娘と同じ表情で少しく思案したが、徐に一人の看護師を呼んだ。

 すると、程なくその看護師がやって来た。

 その女性を見て、僕は医師が何故その人を呼んだかが分かった。

 その看護師はすこぶるスタイルがよく、肉感的だった。看護着は薄着で、中には下着だけだ。

 「君。ちょっとこの子の前でひと回りくるっと回ってくれんか」

 変なリクエストだが、看護師はすぐにそれに応じた。

 僕は心の中で、「あれあれ。この女性はこの医師と何かありそうだ」と思った。

 だけど、僕の眼の前の看護師が背中を向けると、細いウエストや丸いお尻の線が間近に見えた。

 「君。この子の前でしゃがんで、顔を見上げてくれんかね」

 「はい」

 看護師が僕の眼の前で膝を折ると、襟の間からふくよかな胸の谷間が見えた。

 恥ずかしい話だが、僕はたちまち反応してしまった。

 僕のイチモツはすぐに大きくなり、パンツの隙間から顔を覗かせてしまった。

 医師はそれを目にし、思わず声を上げた。

 「こいつはスゴイ。三十㌢を軽く超えそうだ」

 医師は好奇心が勝ったのか、あろうことか僕のイチモツを直接手で触れた。

 もちろんだが、刺激を与えられ、僕のイチモツは膝に届きそうなくらい伸びた。

 看護師が脇で見ていたが、それを見て、何故か嬉しそうに声を掛けた。

 「こういう男性はこれまで見たことがありません」

 医師がすぐに答える。

 「記録に残る巨大なイチモツだぞ。皆を呼んで見せたいほどだが、君にとっては恥ずかしい話しだろうからそれも出来ん」

 ここで、医師が我に返る。

 「スマンスマン。あまりに立派だったから、興味本位の話し方をしてしまった。君は中一だということだから、きっとこのことを悩みに思って来たかもしれん。でもそんな必要はないんだよ」

 「え。僕はコイツのおかげで散々苦労してますけど」

 医師が大きく首を振った。

 「昔のことだ。成人映画産業にハリー・リームスという男優がいた。世界で最もイチモツが大きいと言う理由で、その男優はひと財産を築いた」

 一体、この医師は何の話をしようと言うのだろう。僕は不審に思った。

 医師が構わず話を続ける。

 「その男優のイチモツの長さは三十㌢くらいだった。君のはそれを凌駕するほどのキョコンだ。それだけで君はキョマンの富を築けるんだよ」

 「僕はひと前にこれを晒すつもりはありませんが」

 まったく迷惑な話だ。

 すると医師はこう答えた。

 「見せる必要はないんだよ。コイツを持っているというだけで武器になる。誰も君には勝てないからね。神社を開いて神主になれば、何万人もが拝みに来る。君自身がご神体で『金精さま』なんだよ」 

 この時、何やら後ろで人の気配がしたので、振り返ると、背後には二十数人の女性が立っていた。

 この病院の看護師全員が僕のイチモツの噂を聞き、見物に来たのだった。

 ここで覚醒。

 

 このまま文字に落とせるのか?と思うほど、変な夢だった。

 前日に神社の前で写真を撮ったが、私の前に幽霊の腕が突き出ていた。

 地面から上半身が出て、後ろから抱き付いたと見えるが、その腕がちょうど巨大なイチモツのように見えた。あえてコメントは付けなかったのだが、その情景が脳裏に残り、そんな夢を観させたのだろうと思う。

 私の鼻はピノキオのように伸びたが、股間ピノキオだった。

 さすが夢で展開がぐちゃぐちゃになっている。

 だが、まさに夢らしい夢で、これは「体調が著しく改善されている」ことの表れだと思う。

 ドラスティックな変化とは、まさにこのことだ。一年前も二年前も私は「ほぼ死人」だった。 

 

追記)夢を観た原因がこれ。

 

◎霊界通信 「四月十九日のセルフチェック」

霊界通信 「四月十九日のセルフチェック」
 最寄りの八幡さまにセルフチェックに行った。
 この日はあまり響かぬ日だったようで、声も触感も左程感じない。
 画像を点検したが、前後の景色に無いものがいくつか出ていたが、はっきりと「これはこういうもの」と推測出来るものはない。
 ま、こういう日もある。

 ただ、三枚目の画像の右側に眼が開いていたので、異変が現れようとしていたと思う。煙玉が重なっているので、拡大すると逆に見え難くなるのだが、景色の前後にこれと見紛うものはない。
 女性の眼で、嫌な感じが無いのは、私サイドの者だからだと思われる。
 巫女さまか、それに近い者ではないか。眼から受ける印象は、小鹿野の旅館の窓に出た眼とよく似ている。

 最後の画像では、右脚に前からしがみ付く者(たぶん男)がいて、これが原因で私の右脚が画像から消えた。直前に立たれると、光の波の相殺作用なのか姿が消えてしまうことがよくある。
 だが、私とその男の間に子どもがいると思う。
 女児でおかっぱ頭だ。
 となると、すぐに「お稚児さま」のことが思い浮かぶ。

 私はそもそも神霊体であるうえに、一度死んだこともある。外に出る度にぞろぞろと背後に良からぬ者を引き連れて帰ることになる。だが、いつも仲間がぎりぎりのところで守ってくれて来た。

 御堂観音の時の「子どもの声」も、その頃には既に「お稚児さま」が見守っていてくれたのかもしれん。

 帰宅してすぐにジュースを供え、「いつも傍にいてくれて有難う」とお礼を伝えた。
 「生きている間も、さらに死んでからも俺は独りではないや」
 死出の山路の向こう側にある怨霊の世界に迷い込むことはなさそうだ。
 このことを実感すると、ぱあっと胸に青空が拡がる。

 ここではっと気が付く。
 もう一人の「お稚児さま」の方もなくてはならない存在だった。すぐに「こりゃスマンでした」と謝った。

 

 ちなみに、この神社の境内を縦断するように、「通り道」があるようで、その上に立つと、あの世の住人がぞろぞろと近寄って来るようだ。今後はその検分も心掛ける。

 ちなみに、さすがに神社の境内で、寄り憑いたように見えても、あまり悪さを働く者はいないようだ。

◎病棟日誌 悲喜交々4/18「呼び止められる」

病棟日誌 悲喜交々4/18「呼び止められる」
 岸田内閣が「国民年金の納入を65歳まで延長」方針を出したので、家人の同僚が「すぐに年金の給付申請をする」と言っていたそう。その同僚は61歳くらいらしい。
 「公務なんだから、給料をもらっていれば社会保険料や年金は自動的に控除されるんじゃあねえの?」
 「でも外国語のTAで非常勤の扱いだから」
 一定の給料があれば、年金の支給額が減らされれるわけだが、「貰う側」になっておけば、そこから「また納付しろ」なんてことは起きない。ま、岸田の場合は何をやらかすか信用できないが。
 わざわざ米国に行き、「日本の同盟国である中国は」と言い放つ奴だ。少しでも思っていなければ、そんなのは言葉に出ないと思う。米国議会で拍手喝采されるのは、岸田が「世界のATM」の役を務めてるってことなんだよ。外遊の度に5千億とか8千億とか撒き散らすのに、帰国すると「増税」。何なのコイツ?
 そろそろガードマンを二重三重につける必要があるんじゃねーのか。

 外国語のTAや講師は、週四日勤務で非常勤扱いだ。だが、その四日に一週分の授業を全部詰め込むから、朝から夕方まで総てのコマが詰まっている。そんな教員が日本人の常勤に一人でもいるのか?授業の準備などは、当然家でやるから事実上、五日半は働いている。夏冬休みの時には給料はない。
 五年くらい働くと、常勤にしなくてはならないから、形式だけはそれっぽくしてあり、去年あたりからボーナスが出るようになった。でも、額が3万円だ。お年玉レベルで「支給した」という証拠づくり。
 だが、負担の方はまるっきり常勤と同じ。組合費まで払う。
 最近は外国人の生活保護費がどうたらとか、外国籍叩きをする風潮があるが、悪質な「福祉泥棒」は中韓の一部で、真面目に働き納税する永住外国人は、割を食うことが多い。家人は二十年以上公立小学校で働いているが、パート扱いのまま。

 のっけから脱線した。
 この日、病棟に行くと、遠くのベッドから声を掛けられた。
 先輩患者のAさん(五十台女性)だ。
 「心臓の手術をして来たんです。生還しました」とのこと。
 ここで頭の中に横井さんの言葉が蘇る。
 「恥ずかしながら帰って参りました」

 「そりゃ大変でしたね」
 「腎不全患者は心臓が悪くなりますから、大動脈を治療しました」
 入院治療が一週間ならバイパスみたいな外科手術では無いのだな。カテーテル治療の近辺か。当方が大動脈三本が塞がった時にはひと月入院した。

 さて、着替えに行く時にNさんのベッドの前を通ったので、「大丈夫ですか」と声を掛けた。足の指を切り、骨の近辺に肉が盛り上がるまで入院したので、こちらはほぼふた月だ。当方もNさんと紙一重の状態だったが、今回は「徳俵の内側」に着地した。
 今の具合などをあれこれ聞いた。

 ベッドに戻ろうとすると、ガラモンさんが近寄って来た。
 ガラモンさんは最近かなり痩せて、遠目ではそれがガラモンさんだと分からなくなった。もはや「ガラモン」ではなくなっている。怪獣みたいな風貌が愛嬌があって良かったが。
 「何だかこのところ足の指が痛いんだけど」
 当方やNさんの身に起きたことが自分にも起きないかと心配になったらしい。
 「兆しは足の側面なんかが痺れる感じですね。それと指先が痛くなったりします。一番怖いのは外傷で、豆なんかも絶対に潰したらダメです」
 たった一日二日で化膿し、ぐちゃっと潰れる。足全体が紫色になり、激痛。ところが、そうなるまでは神経障害のため、痛みを覚えない。
 当方は数日前に柱に足をぶっつけたが、二日目までまったく痛みを感じなかった。三日目にして足の甲全体が腫れた。

 ま、前に当方の足がおかしくなったのは、廃病院の二階に女の幽霊が立っているのを見た直後だった。その日の夜に一気に化膿し、両足が紫色に腫れあがった。そうなるまでたった一日。
 だが、そんな経緯は、普通に暮らす人には話せない。ひとのかたちをして、かつおどろおどろしい姿を目の前で晒してくれて、そこで初めて「そこに理不尽な何かがいる」と分かる。それが普通だし、そんなことは滅多に起きない。
 当方はカーテンを見ただけで、その後ろに「何かがいて、こっちを見ている」と分かる。幾度も経験があるからで、一種独特の気配があるのだ。障子の前に立っている時に、その障子のすぐ向こう側に人が立って居れば、誰でもそれと分かる。これに似た感覚だ。
 カーテンの陰の気配を確かめるために、そこを注視すると、女は「待っていました」とばかりに走り寄って来たようだ。こちらの心の動きで、相手がこちらの存在を悟るわけだ。コイツを切り離すのには数か月かかった。
 今も時々、廃病院の前を通り、やっぱりその二階のカーテンの陰に女が立っているのだが、さすがに前と同じ轍は踏まない。
 「俺はお前と関りが無いし、興味もない」とすぐに別のことを考えると、先方のアンテナにかかり難い。

 この日も「お茶屋のオバサン」の姿は無し。
 また入院病棟に戻ったのかもしれん。
 後ろに「黒いひと」が出ているので、今が正念場だ。
 とりあえず、「ご神刀斬り」でそいつを遠ざけて、時間を稼ぎ、対処策を講じる必要がある。
 だが、こういうのは当人には伝えられない。
 殆どの人が、「お迎え」にも「幽霊」にも対峙したことが無いから、受け入れられないからだ。逆に「人が困っている時に変なことを言うな」と怒るだろう。
 
 「深刻な病気になる前に準備を始めろ」というのはこういうことだ。「死後の存在はある」ことを認識し、心と魂の連動が可能になるような体勢にして置けば、不都合が芽吹いた段階で対処出来る。
 「受け入れる」ということが、「信じる」ことへの第一歩だ。
 「信じ方」を会得すると、心→魂のスイッチが入るようになる。
 身体機能は有限で、死を避けられる者は一人もいないのだが、「無用に死期を早める」事態を避けられる。
 「お茶屋のオバサン」は現状を放置すれば、もって数か月だと思う。自分自身が実際に体験したので、顔を見る度に戦慄を覚える。

 何だか分らないような資金提供に五千億だかを投げるのを止めれば、「子育て支出金」みたいな増税はしなくてもよいじゃねーか。少しは自国のために使えよな。外国と不法在留外国人だけを支援する愚かな総理をこのままにしておくと、いずれ中国の属国だ。ゴラムの手下になりたいのか?