◎闘病日誌R070522「まだ越してない」
◎闘病日誌R070522「まだ越してない」
このところ何となく「峠は越した」気になっていた。
先が見え始めると、幾らか心が明るくなる。病棟では「苦痛はピークを10とすると、今は8と7の間くらい」と報告した。
ま、床屋での一件があるから、全然気が抜けない。
この日の穿刺担当はユイちゃんだった。
三十台だが、若見えで二十二三歳にしか見えない技師さんだ。
「桜エビのかき揚げ」や「鱈子パスタ」のレシピを説明していると、何時になく熱心に聞いている。
「実は私、結婚したんです」
「そりゃおめでとう」
結婚式は親族だけで行い、旅行は秋に行くそうだ。
家ではあまり料理を作らないそうだが、追々、覚えて行く必要がある。一段美味しくするコツに関心を持つようになったのはそのためだった。
普段は殆どチョコしか食べずカリカリに痩せているが、旦那が出来たからにはこれまで通りには行かないだろうな。
「家飯が不味いと、旦那は大体浮気するようになるから、時々、これはと思わせるものを食べさすといいよ。俺の女房は、結婚する時、二つしか料理が出来なかったが、『店を開け』と思うくらい美味しい。それだけでこれまでもってる」
「どんな料理ですか」
「ショコラケーキと焼きビーフン。ビーフンはエスニック味」
初めて家に来て料理を作って貰ったのがその二つ。
「どれだけ上手なのか」と思ったが、出来るのはその二つだった。結局、家飯はダンナが作ることになったが、たまに妻がショコラを作る。
「砂糖を1グラムも使わないのに、何故か甘いんだよ。チョコの配合で甘みを感じる作用が出るらしい」
「1グラムも?」
「だから自然な甘みで、幾らでも食べられる。ワンホール食いたいと思うもの」
だが、難点がある。妻はそのレシピを絶対に教えてくれないのだった。ダンナにさえ教えない。
「一番優しいヤツならきっと大雑把には教えてくれるから、今度聞いて来る」
結婚して、1年2年経った頃に、飯が不味いと不協和音が出始めるのではないか。自分の娘みたいな感覚で案じてしまう。
帰宅したが、洗濯物を取り入れるべく2階に上がった。腰が悪いので、ゆっくり這って上がる有様だ。
ベランダには娘の部屋を通らねばならんので、ドアを開くと、中からバタバタと物音がした。
まるで、突然人が来たので、慌てて逃げ出そうとする音だ。
「あ。空き巣が入ったか」
すぐに廊下に戻る。廊下には段ボールの陰に刀を隠してある。
「殺そう」
当家では、泥棒は日本刀で斬る決まりだ。そこからの生き死には本人次第。
何せ当方の半分はアモンサイドなので、こういうのには迷いがない。
急いで娘の部屋に戻ると、しかし誰も居なかった。
大体は窓が開いており、そこから入るから、そこを確かめたが、何ともない。
「気のせいなんていう音ではなかったな。六七十キロくらいの人間が慌てて立ち上がる音だった」
ここで気付く。
「なあるほど。まだ居るわけだな」
あの「黒い女」を撮影してから、まだひと月も経っていない。
「黒い女」は、あくまで「そのうちの一人」で、実際には三十くらいの者が入り込んでいただろう。
何せ、(半年一年開けなかった)食器戸棚の中にあるフードプロフェッサーが勝手に「ウイーンウイーン」と動いていた。
スイッチを入れる入れない以前に、そもそも電源が入っていないのだった。
「それなら、走ろうが寝っ転がろうが、ごくフツーのことだわ」
まだ全然、安心出来ない。
ここまで書くのにも、まだ四回休憩し、腰を伸ばしている。
こういう時には経済が詰まったり、対人関係が悪くなったりするものだ。ごく普通の受け答えをしているのに、何故か相手が悪意を持って受け取る。
誰でもそういう時があるだろうと思うが、そこに「何者か」が手を添えると、度合いがいっそう深まる。
よく知らぬ人なのに、悪口を言われていたりすることはあるが、原因が人事の問題ではなかったりする。
人間は見えないようでいて、実は見ているから、人の後ろに立つ影があしざまに罵っていれば、前に立つ人に悪意を覚える。
ま、まずは対「あの世の者」をきれいにすることに専念し、他人には近づかないで置くのが一番だ。
不特定の眼に触れるところに雑文を書くのも控えた方がよい。
私の場合は、そもそも余生が短いので、他人に気を遣う必要はない。程なく棺桶に入る人間には、友だちや仲間は不要だ。
改めて「峠はまだ越してない」と思った。
あるいはやっぱりこのまま入滅するのかもしれん。
死は終わりではないと確信しているので、あまり気にならぬが、それを他人の前で示すと、相手が戸惑うだろうと思う。
死を直視すると、死期を先延ばしに出来たりするが、殆どの人はそれを考えること、受け止めること自体を忌避するようだ。
私は電子機器が勝手に動き出しても、別段驚かなくなったが、初めて経験するなら、肝を潰すと思う。人は見たいものだけ見るし、自分に都合の良いことを真実だと信じる。
眼疾があり、とりわけ今日は文字が見えません。校正ができないので誤変換が多々あると思います。