日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎病棟日誌R070527「しくじる」

◎病棟日誌R070527「しくじる」
 朝、ガラモンさんとすれ違った。
 ガラモンさんはすっかり痩せて、もはや「ガラモン」の面影はない。
 「痩せたね。でも、ここの患者は痩せたらダメなんだよ」
 衰えと直結しているわけで。
 するとガラモンさんは「自分だって痩せたじゃない」と笑っていた。そりゃ違いない。今は会う人会う人に「痩せたね」と言われる。
 ちなみに、ガラモンさんは「56歳」で年齢の進行が止まり、そこで足踏みをしているw。こないだ「女も五十台になると」という話をしていた。もう六十は超えていると思うが。

 この日の穿刺担当はエリカちゃんだった。
 そのエリカちゃんにも「痩せましたね」と言われた。
 「このひと月で3キロくらい落ちたかな」
 ま、「黒い女」やその他諸々の悪影響だ。「障り」と言った方が簡単だ。
 頭の中では、昨日の神社での状況を思い出した。ブログやSNSには書かないこともある。これは例え書いても、他人は分からないから書かないのだ。
 エリカちゃんは、以前、背中に老婆を背負っていたので、除霊の仕方を教えたことがある。普段は見ても黙っているが、この時は目視でバッチリ見えた。田舎から来た子だし看過は出来ない。
 次回にお守りを渡し、対処の仕方を教えた。
 その後、「お稚児さま」キーホルダーを上げたりしたので、つい気を許していたらしい。

 「三か月くらい前に、黒い服を着た女を連れ帰ったが、そいつが家に居座っている。俺の足のケガや股関節捻挫、心肺の不調なんかもそれに関係しているんだよ」
 エリカちゃんは黙って聞いていた。病棟には師長を始め、数人は当方が直面する問題を知っている者が居る。「ウェブでは公開できない画像」も見せたから、職場の噂話には出たかもしれん。

 ここでつい愚痴った。
 「普通の人なら、ただのお話なんだが、俺にはそうではないんだよ。何せ食器棚の中のフードプロセッサーが勝手に動いたりする」
 電源コードが繋がっていないのに、「ウイーン」と回る。
 すると、エリカちゃんは目を見開いて「怖い」と漏らした。
 イケネ。
 活字で読んだり、ユーチューブ動画で観る分には、あくまで「どこかの怪談」の域の話だ。必ず逃げ道がある。多くは、作り話だったり捏造動画だったりするからだ。
 だが、身近な人間の体験談として聞く分には、リアリティが全然違う。
 こりゃしくじったわ。
 すぐに話を替え、バイクの話をした。
 エリカちゃんは筋金入りのライダーだ。

 色んなことを体験したので、自分自身に起きることにはあまり動じなくなった。稲荷の時に八か月間苦しめられたから、スマホが叫ぼうが、機器が動こうが「普通に起こりうること」になった。
 一度経験すると、二度目からは慣れ、この先の展開が見える。
 成否はまた話が別だが、対処の仕方は分かる。
 足を失うかもしれんが、まだ死なないとは思う。

 家の中など身近な場所のお清めの手順はこう。
1)気になるところに、癒し水を供える。
 これは死者を慰め、休んでもらうためだ。これが1週間からひと月。
2)お酒を供える。
 死者に自ら浄化してもらう。
 最初は二三日で、その酒にカビが入る。そこで新しいものに取り換える。そのうち、カビが入らなくなる。
3)お清めの塩を供える。
 真言とかお経は要らない。自分の言葉で、自分なりにお引き取りを願うこと。
 普段やってもいないのに、急にバットを持って打席に入ったからと言って、打てるわけがない。それと同じ。
 一般人は「自分の言葉で語る」というのが一番だ。

 先ごろ「黒い女」が座っていた場所に、水→酒を供えて来たが、最初は二日でカビが入った。今は三日経ってもそのままだ。
 だが、「全然まだまだ」だと思うのは、PC脇に供えた酒が一日でダメになることで分かる。仕事部屋に移動しただけかもしれん。
 ま、私の周囲は溜まり場所だから、一匹二匹ではなさそう。

 私の特技は「出して見せる」ことだと思うが、そのうち鮮明な画像を出して見せられると思う。鮮明過ぎると、逆に見せられなくなるので、逃げ道を残してある画像だ。
 話で聞くのと、身近に体験するのでは、全然受け止め方が違う。

 慣れるまでは、あまり直截的なものは避け、少しずつ進まぬと、受け入れることが出来ない。オーツキ教授みたいに「そういうものは存在しないからいない」みたいな非科学的な反応になる。科学的な手順で霊的現象を観察するなら、必ず「なんらかの死後の存在はある」という仮説に行き着く。
 ただ、エリカちゃんの恐怖の表情を見て、この日は「不用意だった」と反省した。

 まだ早い。

追記1)昨夜、偽霊能者の話をテレビでチラ見したが、自称霊能者が本物かどうかを見極めるのは簡単だ。話をする前に以下を確認すればよい。
 「自分で撮影した心霊写真はありますか」
 なんのかんのと言い訳をすると思うが、直感霊感の立つ人には幽霊が普通の人よりも集まりやすい。幽霊側が「話を聞いてくれる」と思うらしい。
 その人本人を撮影した画像には、煙玉や人影が寄り添う。
 その人が撮影した画像にも、物理的なルールに従わないものが写る。「いつも」と言うわけではないが、結構な頻度で写る。

 「たまたま撮影した」人はいるが、「今そこにいると悟って撮影した」者はいない。
 そもそも、直感霊感はコントロールが出来ないから、「能力」などは存在しない。
 ちなみに、コツを覚えると、直感霊感が強くなくとも、撮影する機会は増える。

 私には特別な霊感はないが、生来、勘が鋭いところがあるのと、経験があるので、あまり視覚を頼らなくとも察知は出来る。もちろん、不確かだが、直感霊感は元々が想像や妄想を基盤としている。

 私にとっての分岐点は、稲荷眷属の障りに悩まされた時で、「蜘蛛の糸が顔にかかる感触」を得た。それ以後は、体感で「今触れられている」と分かるようになった。そして、そんな風に相手と接触すると、相手のことが何となく分かるようになる。これは大なり小なり、自我が重なるからだと思う。

 幽霊の実態はガス状の煙だ。これが時々、実体化して人の姿になる。芥子粒ほどの小さな光が凝集して、煙玉になり、人の姿に変わる。それなら、人の形を取っていなくとも、そこにいることがあるということだ。

 いつも、「ここには煙(霊気)が出ていて・・・」と記すのは、それが「あの世(幽界)」の本質だからだ。