◎病棟日誌R070503「ついに白状する」
◎病棟日誌R070503「ついに白状する」
看護師のタマちゃんに、足指の治療をして貰ったが、その都度繰り返し「動脈のカテーテル治療」を勧められる。
毎度だとさすがにウザいので、ついに白状した。
「俺は普通の人が見えないものが見えるし聞こえる。今はあまり宜しくない奴が傍にいるから、外科治療は出来ないんだよ。そいつは生死のかかる局面が俺に来るのを待っているからな」
大腿の大動脈でも、いざ血管が裂けると、体内の出血多量であっさり死ぬ。今は「黒い女」だけでなく、沢山寄り憑いているから、さらに横から手が加わるかもしれん。
「霊感の強い人は現実にいますけどね。ただ血行をよくしないと、傷が治らないので、いつ化膿して腐るかわかりませんよ。腐ったら切ることになります」
「こういうことは滅多に口で言うことはないのだが、足の指や脚が無くなったとしても、数日で死ぬよりはましだと思うね。こんなことを言うと、『イカレタ奴』だと思われるだろうが、俺の場合、そこにいるなあと思った時に写真を撮るとそいつが写真に写るからな。要は、信じようと信じまいと現実なんだよ」
で、殆どの者には私と同じものが見えない。
ここでようやく看護師が話を止めてくれた。
こういう会話も隣近所のベッドに聞こえるので、配慮が必要だ。患者の多くが、近い将来にこの世を去るし、敏感になっている。自分の生き死にを見ている者には刺激が強い。
私はこれで助かっている面があるが、その反面、煩わしいことがやたら多い。他人の生き死にまでは関わっていられない。
他者がどう感じるか、信じるかに至っては、知ったこっちゃない。そんな余裕は無いのだ。
さて、一昨日に見たものについて。
ガラス窓の前に立った時に、既に「でっかい女」の姿が見えており、他の雑多な者たちの前に立ちはだかっていた。
その瞬間、「これって、俺のことを守っているんじゃないのか」と閃いた。
すぐに撮影したが、最初の一枚には「でっかい女」の影が出ていた。この種の画像としては鮮明なほう。
あの世は「擦りガラスの向こう側」にある気配と同じだと思えばわかりよい。
風呂場に誰かが入っていてシャワーを浴びていれば、擦りガラスの反対側から見ても、それが人だと分かる。
だが、それは、そこが浴室で、人が入浴する場所であること。何かが動くと、概ねそれは人であること。そのほか肌色とか(視覚)、水の音(聴覚)などの情報を総合して、「中に人がいる」と判断する。
あの世については、予備知識が全くなく、かすかな視覚聴覚情報だけがある状況だ。これを補うのが経験や知識だから、結局は「霊感」は「想像や妄想」に立脚しているものだと言える。
そこに「幽霊がいる」と知るのは、見る側に特別な能力があるからではなく、そこがどんな場所で、誰が何をするかを承知しているから、それを「当て嵌める」ということだ。
私がこの黒い影を即座に「でっかい女」だと見なすのは、繰り返し、様々な角度から何百回も見て来たからだ。
ところで、「でっかい女」を見ているうちに、誰かに似ていると感じた。
七年前に、私の背後に立った「巫女さま」と同じ雰囲気、感触がある。あの世の者は、生者の視覚ではうまく捉えられぬから、もしかすると同一人物なのかもしれぬ。
改めて見ると、巫女着と言うより「観音さま」の着衣に近いものを身に着けていると思う。
シルエットだけではどれもこれも黒い影だけだから、判別に困るわけだが、先日、部屋に来た「黒い女」とは背丈がまるで違う。
ちなみに、最近の傾向の通り、ガラス窓を直視した時に見えるものより、画像に残ったものの方が薄らぼんやりして判別が付き難くなっている。
生きてると艱難辛苦を覚えることが多々ある。長く続くと苛立つし、攻撃的にもなる。自暴自棄にもなったりするわけだが、そういう時に、さりげなく手を差し伸べてくれる存在があるのは、有難い。もちろん、殆どの人にも同じような支えがある筈だが、自己主張をすることはないから、よくよく注視しないとそれと気づかない。また、注視してそれと気づくには、それなりの修練が要る。
追記)二枚目の傘の左側にサングラスの男が写っているが、これは私の姿を模倣した者だ(短髪、サングラス)。過去にも同じことが起きたが、生命力が落ちた時に、周囲から幽霊が寄り憑いて来る。私の心と同化を望む者は、よりよく接近するために、私の姿を真似る。西洋でいうドッペルゲンガーと同じような存在だ。
これも何十回も見て来たから、頭の端だけでもすぐに「ああ、俺がいる」と分かる。